【故事成語】
淵中の魚を知る者は不祥なり
【読み方】
えんちゅうのうおをしるものはふしょうなり
【意味】
物事のすみずみまでを知りすぎることは、かえってよくないというたとえ。人の秘密や心の奥を見抜きすぎると、身に災いを招くことがあるという意味にも用いる。


【英語】
・Curiosity killed the cat(好奇心が過ぎると災いを招く)
【類義語】
・淵中の魚を察見するは不詳なり(えんちゅうのうおをさっけんするはふしょうなり)
・触らぬ神に祟りなし(さわらぬかみにたたりなし)
・藪をつついて蛇を出す(やぶをつついてへびをだす)
「淵中の魚を知る者は不祥なり」の故事
「淵中の魚を知る者は不祥なり」は、中国古典に見える「知淵中之魚者不祥」という句にもとづく故事成語です。深い淵の中にいる魚まで知るほど、見えにくいものを見抜く力があることを、かえって危険なこととして表します。
この句が出てくる代表的な書物に、『韓非子』(かんぴし)「説林上」があります。『韓非子』は、中国の戦国末の思想家である韓非の言説を集めた書で、二十巻五十五編から成るとされます。
『韓非子』「説林上」には、隰斯弥という人物が田成子に会った話が出てきます。田成子は隰斯弥とともに高台に登って四方を眺めましたが、南の方だけは、隰斯弥の家の木にさえぎられていました。
田成子は、その木について何も言いませんでした。ところが隰斯弥は、家に帰ると人にその木を切らせようとし、斧で何度か傷をつけたところで、急に切るのをやめさせました。
家の者が理由をたずねると、隰斯弥は「知淵中之魚者不祥」という古いことわざを引きました。そして、田成子が大きなことをしようとしているときに、自分がその細かな心の動きまで知っていると示せば、きっと身が危うくなると考えたのです。
隰斯弥はさらに、木を切らなくてもまだ罪にはならないが、人が言わないことを知っているのは大きな罪になる、と考えました。この場面では、相手の言葉にならない考えを見抜きすぎることが、身の危険につながるものとして描かれています。
同じ発想は、『列子』(れっし)「説符」にも見えます。『列子』は道家思想書で、現行本は前漢末から晋代にかけて成立したといわれます。そこでは「察見淵魚者不祥、智料隠匿者有殃」という形で、深い淵の魚を見抜く者は不吉であり、隠れたことを知りすぎる者には災いがあるという意味を表しています。
また、前漢の司馬遷が著した中国最初の正史『史記』(しき)にも、この表現に近い形が出てきます。『史記』「呉王濞伝」には「察見淵中魚、不祥」とあり、後の時代にも、人の内情を細かく見抜きすぎることへの戒めとして受け継がれました。
日本語では、「淵中の魚を知る者は不祥なり」のほか、「淵中の魚を察見するは不詳なり」という形も用いられます。「知る」と「察見する」は、どちらもふつうは見えない深い所まで見抜くという意味を含んでいます。
この故事成語は、知ることそのものを悪いものとする言葉ではありません。大切なのは、相手の秘密や言葉にしない事情までむやみに探ると、相手を傷つけたり、自分にも災いを招いたりすることがある、という戒めです。
「淵中の魚を知る者は不祥なり」の使い方




「淵中の魚を知る者は不祥なり」の例文
- 友人の秘密を無理に聞き出そうとして、淵中の魚を知る者は不祥なりという言葉を思い出した。
- 社員の私生活まで細かく探る上司の態度は、淵中の魚を知る者は不祥なりに当てはまる。
- 相手が言いたくないことまで知ろうとするのは、淵中の魚を知る者は不祥なりで、信頼を失うもとになる。
- 町内会のもめごとの裏事情を探りすぎると、淵中の魚を知る者は不祥なりで、かえって巻き込まれる。
- 政治家が小さな事情まで疑って干渉しすぎる姿勢は、淵中の魚を知る者は不祥なりという戒めに通じる。
- 兄の机の中を勝手に調べようとして、母に淵中の魚を知る者は不祥なりと注意された。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・教育部編『重編國語辭典修訂本』中華民國教育部、2021年。
・韓非『韓非子』。
・『列子』。
・司馬遷『史記』。
・HarperCollins編『Collins COBUILD Advanced Learner’s Dictionary』HarperCollins。























