【ことわざ】
医者の不養生
【読み方】
いしゃのふようじょう
【意味】
人には健康や正しい行いをすすめる立場の人が、自分ではそれを守らないこと。広く、他人には立派なことを言いながら、自分の実行がともなわないことのたとえ。


【英語】
・Physician, heal thyself(医者よ、自分自身を治せ)
【類義語】
・紺屋の白袴(こうやのしろばかま)
・大工の掘っ建て(だいくのほったて)
・坊主の不信心(ぼうずのふしんじん)
・髪結い髪結わず(かみゆいかみゆわず)
【対義語】
・言行一致(げんこういっち)
・有言実行(ゆうげんじっこう)
・率先垂範(そっせんすいはん)
「医者の不養生」の語源・由来
このことわざは、中国の古い故事をもとにした故事成語ではなく、日本で広く用いられてきたことわざです。もとの形は、患者には養生をすすめる医者が、自分では健康に注意しないという身近な皮肉から出ています。
「養生(ようじょう)」は、命を養い、健康を保つように心がけることを表します。「不養生(ふようじょう)」は、その反対に、健康に気をつけないことを表します。
したがって、「医者の不養生」は、まず医者という職業に即した具体的な場面から生まれた表現です。体を大事にするよう人に説くはずの医者が、自分の生活では同じ注意を守らないという矛盾を、短く分かりやすく言い表しています。
古い例として、『風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)』(1763年・宝暦13年・江戸時代中期、風来山人(ふうらいさんじん)作)に、「医者の不養生、坊主の不信心、昔よりして然り」という言い方が出てきます。ここでは、医者と坊主という、他人を導く立場にある人のふるまいを並べて、世の中の矛盾を風刺しています。
『風流志道軒伝』は、実在した講釈師・深井志道軒(ふかいしどうけん)を主人公にした談義本(だんぎぼん)です。談義本は、江戸時代中期に多く読まれた滑稽な読み物で、おかしみの中に教訓や世相への風刺をまじえる性格を持っていました。
この作品の中では、「金持は金遣はず」「髪結い我髪結わず」など、職業や立場と実際の行動が食い違う言い方が続けて並べられます。その流れの中に「医者の不養生」が置かれているため、このことわざは、医者個人を責めるだけでなく、人間一般の言行のずれを笑いと風刺でとらえる表現として働いています。
江戸時代後期の『譬喩尽(たとえづくし)』(1786年序、松葉軒東井編)にも、「医者の不養生、儒者の不届、神道者の不直、仏者の不如法(ふにょほう)」という並びが出てきます。医者、儒者、神道者、仏者のように、人を導いたり正しさを説いたりする立場の人ほど、自分の行いを問われるという発想が、ことわざの形で広がっていたことを示しています。
太田全斎(おおたぜんさい)の『諺苑(げんえん)』(1797年・寛政9年成立)にも「医者の不養生」という形が出てきます。『諺苑』は俗語や俗諺を集めた江戸時代の国語辞書で、この言い方が近世のことわざとして整理されるほど定着していたことがうかがえます。
明治期には、福沢諭吉(ふくざわゆきち)『学問のすゝめ』(1872〜1876年)にもこの表現が出てきます。江戸の風刺的な言い回しにとどまらず、明治の文章の中でも、言うことと行うことが一致しない例を表す言葉として生き続けました。
昭和期の寺田寅彦(てらだとらひこ)「蛍光板」(1935年・昭和10年)では、「紺屋の白袴」とともに「医者の不養生」が用いられています。ここでは医者そのものではなく、専門分野に関わる人が日常ではかえって合理的でない言葉づかいをするという文脈で使われ、意味が医療の場面から広く専門家一般へ広がっていることが分かります。
このことわざは、「医者の知識が足りない」という意味ではありません。よく知っている人、正しいことを人に教える人であっても、自分自身の生活や行動には同じ正しさを当てはめられないことがある、という点に意味の中心があります。
現在では、健康のことだけでなく、片づけを教える人の部屋が散らかっている、時間管理をすすめる人が自分の予定を守れない、勉強の計画を助言する人が自分の課題を後回しにする、という場面にも使われます。自分の言葉と行動を照らし合わせる大切さを、少し皮肉をこめて教えることわざです。
「医者の不養生」の使い方




「医者の不養生」の例文
- 健康診断を受けるよう社員にすすめていた課長が、自分だけ予約を忘れていて、医者の不養生となった。
- 整理整頓の本を書いた人の仕事部屋が書類で埋もれていて、医者の不養生を思わせた。
- 弟に早く宿題をしなさいと言った姉が、自分の提出物を出し忘れ、医者の不養生になった。
- 食生活の大切さを語る講師が毎日朝食を抜いていると知り、医者の不養生だと感じた。
- 時間管理を教える先輩が会議に遅れてきたので、医者の不養生とはこのことだと思った。
- 防災用品の準備を近所に呼びかけていた家が、懐中電灯の電池を切らしていて、医者の不養生だった。
主な参考文献
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・風来山人(平賀源内)『風流志道軒伝』宝暦13年(1763年)。
・松葉軒東井編『譬喩尽』1786年序。
・太田全斎『諺苑』1797年。
・福沢諭吉『学問のすゝめ』1872〜1876年。























