【故事成語】
一悪を以て其の善を忘れず
【読み方】
いちあくをもってそのぜんをわすれず
【意味】
一つの欠点や過ちだけを理由にして、その人の長所や善行まで忘れてはならないという教え。人を用いたり評価したりするときの心得を表す。


【英語】
・Do not judge a person by one fault(ひとつの欠点だけで人を判断してはならない)
・Do not let one fault blind you to a person’s virtues(ひとつの欠点で、その人の長所を見失ってはならない)
【類義語】
・一悪を以て衆善を忘れず(いちあくをもってしゅうぜんをわすれず)
・一悪を以て其の善を捨てず(いちあくをもってそのぜんをすてず)
【対義語】
・一事が万事(いちじがばんじ)
・坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)
「一悪を以て其の善を忘れず」の故事
この故事成語のもとになる形は、中国唐代の政治書『帝範(ていはん)』にあります。『帝範』は、唐の太宗が撰し、648年に成立した、帝王としての心得を説く書物です。太宗の子、のちの高宗に与えられたものと伝わり、帝王学の教科書として知られてきました。
『帝範』の「審官第四」では、国を治めるには人を正しく用いることが大切だと説いています。そこでは、すぐれた君主が人材を用いることを、巧みな職人が木材を使い分けることにたとえています。まっすぐな木は車の轅(ながえ)にし、曲がった木は輪にし、長い木は棟梁にし、短い木は栱角にするように、人にもそれぞれ使いどころがある、という考えです。
その流れの中に、「不以一惡忘其善;勿以小瑕掩其功」とあります。これは、「一つの悪によってその善を忘れず、小さなきずによってその功績をおおい隠してはならない」という意味です。ここでいう「一悪」は一つの悪事、またはちょっとした悪行を指し、「小瑕(しょうか)」は小さなきず、つまりわずかな欠点を指します。
この一節の中心は、人には知恵の長短、力の大小、勇気や慎重さの違いがあるという見方です。人の一つの欠点だけを大きく見てしまうと、その人がもつ長所や、これまで積み重ねてきた働きまで見えなくなります。『帝範』は、欠点を見ないようにせよと言っているのではなく、欠点だけで人物全体を決めつけてはならないと教えているのです。
日本にも『帝範』は早く伝わりました。国立文化財機構が伝える鎌倉時代の写本は、「帝範」の写本としては最古のものとされ、日本では9世紀末以前に将来されたと説明されます。日本の学問や政治の世界でも、君主や指導者の心得を説く書物として読まれてきました。
日本語の古い用例としては、『平家物語』(13世紀前半ごろ成立)巻十に、「一悪をもって其の善をすてず、小瑕(せうか)をもって其功をおほふ事なかれ」という形が出てきます。この場面では、平宗盛が、平家の過ちだけでなく、代々の奉公や平清盛の忠節も思い出してほしいと願う文脈で、この表現を用いています。
『平家物語』では「忘れず」ではなく「すてず」という形で現れますが、考え方は同じです。「忘れる」は心から消してしまうこと、「捨てる」は評価から切り捨てることを表します。どちらも、一つの悪や小さな欠点によって、それまでの善や功績をないものにしてはならないという戒めにつながっています。
現在の「一悪を以て其の善を忘れず」は、人を評価するときの公平さを説く故事成語として使われます。失敗や短所を見逃してよいという意味ではありません。過ちを正しく見ながらも、その人のよい点、努力、これまでの功績まで消してしまわないことを教える言葉です。
「一悪を以て其の善を忘れず」の使い方




「一悪を以て其の善を忘れず」の例文
- 一度の失敗だけで長年の努力を否定するのは、一悪を以て其の善を忘れずの教えに反する。
- 友人が約束の時間に遅れたからといって、日ごろの親切まで忘れるのは、一悪を以て其の善を忘れずとは言えない。
- 部下の報告書に誤りがあっても、これまでの誠実な仕事ぶりを踏まえて、一悪を以て其の善を忘れずに評価する必要がある。
- 弟が皿を割っただけで、毎日手伝っていることまで否定するのは、一悪を以て其の善を忘れずの心を欠く。
- 選手の一つの反則だけに目を奪われず、地域活動への貢献も見る姿勢は、一悪を以て其の善を忘れずに通じる。
- 人を育てる立場にある者ほど、一悪を以て其の善を忘れず、過ちを正しながら長所を生かす目を持つべきだ。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『デジタル大辞泉』小学館。
・唐太宗撰『帝範』648年。
・『平家物語』13世紀前半ごろ。
・国立文化財機構『e国宝 帝範』。























