【故事成語】
一翳眼にあれば空華乱墜す
【読み方】
いちえいまなこにあればくうげらんついす
【意味】
心に妄念や迷いがあると、心が乱れて物事を正しく認識できないことのたとえ。


【英語】
・delusion(実在しないものを実在すると信じること)
・illusion(実際とは違うものを、あるように受け取ること)
【類義語】
・空華乱墜(くうげらんつい)
・疑心暗鬼を生ず(ぎしんあんきをしょうず)
【対義語】
・明鏡止水(めいきょうしすい)
・虚心坦懐(きょしんたんかい)
「一翳眼にあれば空華乱墜す」の故事
この故事成語は、中国北宋の禅宗史書『景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)』(1004年成立、道原著)に出てくる禅問答にもとづく言葉です。『景徳伝灯録』は、禅の教えが師から弟子へ伝わる系譜を記した書物で、禅宗の歴史を知るうえで重要な文献です。
もとの話は、『景徳伝灯録』巻十の福州芙蓉山霊訓禅師の章にあります。霊訓禅師が帰宗和尚に「どのようなものが仏ですか」とたずねると、帰宗は「あなた自身がそのまま仏である」と答えました。霊訓がさらに「どのようにして保任すればよいですか」と問うと、帰宗は「一翳在眼、空華亂墜」と答えました。
「一翳」は、目に感じるちょっとしたかげりを表します。「空華」は、病みかすんだ目で空を見ると、実際にはない花が空中にあるように見えることから、本来存在しないものにとらわれることをいう仏教語です。
この問答では、目にわずかなかげりがあるだけで、空に花が乱れ落ちるような幻が見える、という具体的な比喩が使われています。そこから、心に迷いや妄念が一つでも生じると、物事の見え方全体が乱れ、正しい認識ができなくなる、という意味へつながります。
日本では、鎌倉時代の仏教説話集『沙石集(しゃせきしゅう)』(1283年成立、無住著)に、この考えが早くから現れます。同書には「一翳眼にある時は、空花みだれをつ。一妄心にある時、恒沙生滅す」とあり、目のくもりと心の妄念を重ねて、迷いが無数の思いの乱れを生むことを述べています。
また、『太平記(たいへいき)』(14世紀後半成立、作者未詳)巻二十三にも、「一翳在眼空花乱墜す」という形が出てきます。この用例では、不思議なものを見ても心を動かさないという文脈の中で使われ、心が乱れなければ、見えたものに引きずられないという意味合いが含まれています。
さらに、道元の『正法眼蔵』「空華」でも、帰宗の「一翳在眼、空花乱墜」が取り上げられています。禅の世界では、この言葉は単なる幻覚の説明にとどまらず、目・心・世界の見え方を深く考えるための語として受け継がれました。
現在の「一翳眼にあれば空華乱墜す」は、仏教語としての背景をもつ故事成語です。少しの迷い、思い込み、不安があると、事実そのものではなく、自分の心が作り出したものを見てしまうという教えを表します。
「一翳眼にあれば空華乱墜す」の使い方




「一翳眼にあれば空華乱墜す」の例文
- 試験前の不安が強すぎて、先生の何気ない一言まで叱責に聞こえたのは、一翳眼にあれば空華乱墜すというものだ。
- 友人を疑う気持ちがあると、親切な行動まで裏があるように感じるので、一翳眼にあれば空華乱墜すを忘れてはならない。
- 会社の評判を心配しすぎた社長は、客の普通の質問まで苦情と受け取り、一翳眼にあれば空華乱墜すの状態に陥った。
- 一翳眼にあれば空華乱墜すというように、怒りにとらわれると、相手の正しい助言まで攻撃に見える。
- 家庭内の小さな行き違いも、疑う心が強いと大きな問題に見えてしまい、一翳眼にあれば空華乱墜すとなる。
- 物事を判断するときは、一翳眼にあれば空華乱墜すと心得て、思い込みを取り除いてから事実を見る必要がある。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・道原『景徳伝灯録』1004年。
・無住『沙石集』1283年。
・『太平記』14世紀後半ごろ。
・道元『正法眼蔵』1231〜1253年。
・Merriam-Webster, Inc.『Merriam-Webster.com Dictionary』。























