【ことわざ】
烏は百度洗っても鷺にはならぬ
【読み方】
からすはひゃくどあらってもさぎにはならぬ
【意味】
生まれつきの性質や特徴を、あとから無理に別のものへ変えようとしても難しいというたとえ。


【英語】
・A leopard can’t change its spots.(生まれつきの性質や基本的な性格は変わらない)
【類義語】
・烏の黒いのは磨きがきかぬ(からすのくろいのはみがきがきかぬ)
・鷺は洗わねどもその色白し(さぎはあらわねどもそのいろしろし)
・鵠は浴せずして白し(こくはよくせずしてしろし)
【対義語】
・氏より育ち(うじよりそだち)
・玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし)
「烏は百度洗っても鷺にはならぬ」の語源・由来
「烏は百度洗っても鷺にはならぬ」は、黒い烏を百回洗っても、白い鷺にはならないというたとえから生まれたことわざです。「百度」は百回、または何度もという意味を含む言葉で、ここでは「いくら繰り返しても」という強い表現になっています。
烏は、カラス科の鳥で、全体に黒色のものが多い鳥として知られます。一方、鷺はサギ科の鳥の総称で、その中には白いダイサギやコサギなどが含まれます。
このことわざでは、烏と鷺を、黒と白という対照のはっきりした鳥として並べています。黒い鳥をどれほど洗っても白い鳥にはならないという形で、生まれもった性質や姿を、外からの手入れだけで根本的に変えることはできないという考えを表しています。
烏と鷺を黒白の対比として用いる言い方は、古くから日本語にもあります。「鷺と烏」は、白い鷺と黒い烏の違いから、正反対の二つのものを表す言い方として使われ、古い和歌や近世の俳諧にも用例があります。
また、「鷺を烏」という言い方もあります。これは、明らかに白い鷺を黒い烏だと言い張ることから、物の道理をわざと反対に言い曲げることを表します。室町時代の『土井本周易抄』(1477年)にも、この言い方に近い用例が出てきます。
こうした表現から分かるように、烏と鷺は、ただ鳥の名としてだけでなく、黒と白、反対の性質、変えにくい違いを示す組み合わせとして受け止められてきました。「烏は百度洗っても鷺にはならぬ」も、この黒白の対照を、より分かりやすい行動の場面として表した言い方です。
この発想には、中国古典にも近い表現があります。『荘子』(中国・戦国時代の思想書、荘周とその後学の著とされる書)「天運」には、鵠は毎日水浴びをしなくても白く、烏は毎日黒く染めなくても黒い、という意味の一節があります。
『荘子』のその一節は、白さや黒さは外から無理に作るものではなく、それぞれがもともと備えた姿である、という考えを示しています。これは、「烏は百度洗っても鷺にはならぬ」が表す、本来の性質は簡単には変わらないという考えとよく響き合います。
ただし、このことわざは、人の努力をすべて否定する言葉ではありません。努力によって技術を伸ばしたり、考え方を改めたりすることはできますが、もともとの性質や持ち味をまったく別のものに変えようとしても無理がある、という意味で受け取るのが穏当です。
そのため、このことわざは、人を決めつけるためではなく、無理に別物になろうとするより、自分や相手の持ち味を見きわめることの大切さを示す言葉として用いるのがふさわしい表現です。
「烏は百度洗っても鷺にはならぬ」の使い方




「烏は百度洗っても鷺にはならぬ」の例文
- 無理に別人のようにふるまっても、烏は百度洗っても鷺にはならぬで、いつか本来の性格が表れる。
- 古い木の机を金属のように見せようとしても、烏は百度洗っても鷺にはならぬで、木の風合いは残る。
- あの店は高級店のまねをしているが、烏は百度洗っても鷺にはならぬで、昔ながらの親しみやすさが持ち味だ。
- 弟は兄の話し方をまねているが、烏は百度洗っても鷺にはならぬで、弟には弟のよさがある。
- この布は何度漂白しても真っ白にはならず、烏は百度洗っても鷺にはならぬという言葉を思い出した。
- 流行に合わせて店の雰囲気を変えすぎるより、烏は百度洗っても鷺にはならぬと考えて、もとの魅力を生かすことにした。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・荘周とその後学『荘子』成立年代未詳。
・Cambridge University Press, Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus.
・Merriam-Webster, Merriam-Webster.com Dictionary.























