【故事成語】
可を見て進み難を知りて退く
【読み方】
かをみてすすみなんをしりてしりぞく
【意味】
よい機会や勝算があると判断したときは進み、困難や不利な情勢を知ったときは退くということ。情勢を見きわめて、進退を柔軟に決めることのたとえ。


【英語】
・Discretion is the better part of valour.(無用な危険を避ける慎重さも、勇気の大切な部分である)
【類義語】
・臨機応変(りんきおうへん)
・機に臨み変に応ずる(きにのぞみへんにおうずる)
・知難而退(ちなんじたい)
【対義語】
・猪突猛進(ちょとつもうしん)
「可を見て進み難を知りて退く」の故事
「可を見て進み難を知りて退く」は、中国古典に出てくる「見可而進,知難而退」を日本語に読み下した形から広まった表現です。「可」は進んでもよい機会や条件を、「難」は進みにくい危険や不利な状況を表します。
この表現の重要な典拠の一つは、『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』です。『春秋左氏伝』は『左氏伝』『左伝』とも呼ばれ、『春秋』三伝の一つで、左丘明の著と伝えられる一方、漢代の学者が伝承史料をもとに編集したものと考えられています。
『春秋左氏伝』「宣公十二年」には、晋(しん)の軍が鄭(てい)を救おうとして出兵した場面が出てきます。晋軍が黄河まで来たとき、鄭がすでに楚(そ)と和議を結んだと聞き、将軍の荀林父は軍を返そうとしました。
そのとき士会は、楚の政治や軍の備えが整っていることを挙げ、今は楚と戦うべきではないと説きます。そして「見可而進,知難而退,軍之善政也」と述べ、進むべき機会を見れば進み、難しいと知れば退くことこそ、軍を動かすうえでのよい方針だと示しました。
この場面では、「退く」ことは弱気になることではありません。相手の力や情勢を正しく見て、戦うべき時を選ぶ知恵として述べられています。
また、『春秋左氏伝』「僖公二十八年」には、「知難而退」という言葉が出てきます。楚成王が晋文公を軽く見るべきではないと考え、古い兵書『軍志』の言葉として、難しいと知れば退くこと、有徳の相手とは敵対しないことを挙げています。
ここから分かるように、「難を知りて退く」は、もともと戦いの場で不利な情勢を見きわめて退く判断を指しました。のちには、困難に出会ったときに退くこと、または時機を見て身を引くことを広く表すようになりました。
同じ形の表現は、兵法書『呉子(ごし)』「料敵」にも出てきます。『呉子』は中国の兵法書で、現存六編からなり、呉起の著と伝えられますが未詳で、『孫子』と並ぶ兵法書として知られています。
『呉子』「料敵」では、敵をよく見て、占わなくても戦ってよい場合と、占わなくても避けるべき場合を分けて説いています。敵の国土が広く人民が富んでいること、君主が人々をよく治めていること、賞罰が明らかなこと、有能な人を用いていること、兵や武器が整っていること、周囲の助けがあることなどが、避けるべき条件として挙げられます。
そして、自分たちがそのような敵に及ばないなら、疑わずに避けよ、と述べたあとで、「所謂見可而進,知難而退也」と結びます。つまり、勝てる機会があるときは進み、勝ちがたいと分かるときは退くという、冷静な判断が兵法の要点として置かれています。
後の時代にも、この表現は古くからの道理として用いられました。唐の時代に編まれた正史『晋書(しんじょ)』「鍾雅伝」には、「見可而進,知難而退,古之道也」とあり、時勢に応じて進退を決めることが古来の道であると述べられています。
日本では、『太平記(たいへいき)』にも近い表現が出てきます。『太平記』は南北朝時代の軍記物語で、四十巻から成り、小島法師の作と伝えられますが未詳で、応安年間、すなわち1368年から1375年ごろの成立とされています。
『太平記』巻十六には、「戦ふ可き所を見て進み、叶ふまじき時を知て退くをこそ、良将とは申候なれ」とあります。戦うべきところを見て進み、かなわない時を知って退く者こそ、よい将であるという意味です。
このように、「可を見て進み難を知りて退く」は、戦いの判断から生まれた言葉ですが、現在では日常の判断にも用いられます。進むことだけを勇気とせず、退くことだけを失敗とも見ず、状況をよく見て最もよい道を選ぶことを教える故事成語です。
「可を見て進み難を知りて退く」の使い方




「可を見て進み難を知りて退く」の例文
- 新しい店を出す計画は、可を見て進み難を知りて退く姿勢で、立地と費用をよく見て決めるべきだ。
- 相手チームの守りが崩れたときだけ攻め、固いときは無理をしないのは、可を見て進み難を知りて退く戦い方だ。
- 交渉では、条件が整えば進め、相手が強く反発したら引くという、可を見て進み難を知りて退く判断が求められる。
- 山登りでは天気がよければ進み、風雨が強まれば戻るという、可を見て進み難を知りて退く心が大切だ。
- 研究発表の準備は、資料がそろった部分を先に進め、根拠が弱い部分はいったん保留にするなど、可を見て進み難を知りて退く必要がある。
- 勢いだけで事業を広げず、可を見て進み難を知りて退く経営が会社を長く支える。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・教育部編『成語典』教育部、2020年。
・『春秋左氏伝』。
・『呉子』。
・房玄齢等撰『晋書』唐、648年。
・『太平記』14世紀後半成立。
・Oxford University Press『Oxford Advanced Learner’s Dictionary.』























