【故事成語】
片口聞いて公事を分くるな
【読み方】
かたくちきいてくじをわくるな
【意味】
一方だけの言い分を聞いて、訴訟や争いごとの判断を下してはいけないという戒め。双方の話を聞いたうえで、公平に判断すべきことをいう。


【英語】
・There are two sides to every story.(物事には双方の言い分がある)
・hear both sides.(双方の言い分を聞く)
【類義語】
・両方聞いて下知をなせ(りょうほうきいてげちをなせ)
・片口聞いて下知をすな(かたくちきいてげちをすな)
「片口聞いて公事を分くるな」の故事
「片口聞いて公事を分くるな」は、一方の言い分だけを聞いて裁きを下すことを戒める表現です。「片口」は片方だけの言い分、「公事」は訴訟を意味し、もとは裁判や仲裁の場を強く意識した言い方です。
「片口」という言葉には、器の名などの意味のほかに、「一方の人だけの陳述」「片方だけの言い分」という意味があります。この意味は『日葡辞書』(1603〜1604年・安土桃山時代末から江戸時代初め)にも見え、片方にかたよった話を指す言葉として用いられてきました。
「公事」は、古くは公的な仕事や負担を表す言葉としても用いられましたが、近世には「おおやけごと」の中でも、とくに裁判を指して使われるようになりました。そのため、「公事を分くる」は、訴訟や争いごとを裁くという意味に結びつきます。
この表現のもとにある考えは、中国古典の『貞観政要(じょうがんせいよう)』に由来します。『貞観政要』は、中国・唐の太宗と家臣たちとの政治上の議論を集めた十巻の書物で、唐の呉兢が撰し、720年以降に成立しました。
『貞観政要』巻第一「君道第一」には、貞観二年、唐の太宗が魏徴に「何を明君・暗君というのか」とたずねる場面があります。魏徴は、君主が明らかであるのは広く意見を聞くからであり、暗いのは一方だけを信じるからだと答えます。
その答えの中核にあるのが、「君の明かなる所以の者は、兼聴すればなり。其の暗き所以の者は、偏信すればなり」という言葉です。これは、広く聞けば物事を明らかにでき、かたよって信じれば真実を見失う、という意味です。
魏徴はさらに、古代の尭や舜が民の声を広く聞いたため、悪い者にふさがれることがなかったと述べます。反対に、秦の二世皇帝は趙高を、梁の武帝は朱異を、隋の煬帝は虞世基を偏って信じたため、国の危機を正しく知ることができなかったと説きます。
同じ考えは、後漢の王符が著した『潜夫論』にも、「君之所以明者兼聽也、其所以闇者偏信也」と出てきます。国を治める者は、広く聞くことで賢明になり、かたよって信じることで愚かさを深める、という政治上の戒めとして述べられています。
北宋の司馬光が編んだ『資治通鑑』(1084年完成)にも、唐の太宗が魏徴にたずね、魏徴が「兼聴則明、偏信則暗」と答える記事があります。ここでも、一方だけを信じることが国の判断を誤らせる例として、秦・梁・隋の君主たちが挙げられています。
「片口聞いて公事を分くるな」は、この「兼ね聴く」「偏って信じる」という中国古典の教えを、日本語の裁きの場面に置き換えた形です。君主の政治判断に関する教えが、訴訟や仲裁の場で「片方の言い分だけで決めてはいけない」という身近な戒めとして受け止められるようになりました。
現在では、裁判だけでなく、友人同士のけんか、家庭内のもめごと、学校や職場でのトラブルなどにも用いられます。物事の真相は、一方の話だけでは見えにくいものなので、双方の言い分を聞き、冷静に判断することが大切だという教えを伝えています。
「片口聞いて公事を分くるな」の使い方




「片口聞いて公事を分くるな」の例文
- 友人同士のけんかを仲裁するときは、片口聞いて公事を分くるなを忘れてはならない。
- 苦情を受けた先生は、片口聞いて公事を分くるなと考え、関係した児童全員から話を聞いた。
- 会社のトラブルで片方の報告だけを信じるのは、片口聞いて公事を分くるなに反する。
- 家族の中で言い争いが起きたときも、片口聞いて公事を分くるなという姿勢が大切だ。
- 地域の問題を話し合う会では、片口聞いて公事を分くるなとして、賛成と反対の意見を順に聞いた。
- うわさだけで人を責める前に、片口聞いて公事を分くるなという言葉を思い出すべきだ。
主な参考文献
・集英社辞典編集部編『会話で使えることわざ辞典』集英社、1989年。
・現代言語研究会著『日本語を使いさばく 故事ことわざの辞典』あすとろ出版、2007年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・呉兢『貞観政要』720年以降成立。
・王符『潜夫論』後漢。
・司馬光編『資治通鑑』1084年。























