【故事成語】
風の耳を過ぐるが如し
【読み方】
かぜのみみをすぐるがごとし
【意味】
風が耳もとを通り過ぎるように、物事を心に留めず、少しも気にかけないことのたとえ。


【英語】
・turn a deaf ear to.(耳を貸さない、聞き入れない)
【類義語】
・馬耳東風(ばじとうふう)
・耳辺風(じへんふう)
・置若罔聞(ちじゃくもうぶん)
【対義語】
・銘記在心(めいきざいしん)
・拳拳服膺(けんけんふくよう)
「風の耳を過ぐるが如し」の故事
「風の耳を過ぐるが如し」は、中国語の「如風過耳」または「秋風過耳」に当たる故事成語です。風が耳のそばを通り過ぎても、あとに何も残らないことから、物事を気にかけず、心に留めないことを表します。
もとの故事は、後漢の趙曄が著した『呉越春秋』の「呉王寿夢伝」にあります。『呉越春秋』は、中国春秋時代の呉と越の歴史や伝承をまとめた書物で、呉王寿夢とその子季札をめぐる話の中に、この表現のもとになる一節が見えます。
呉王寿夢には、諸樊、余祭、余昧、季札という四人の子がいました。寿夢は、末子の季札がすぐれていることを知り、王位を季札に継がせたいと考えました。
しかし、季札は王位を受けようとしませんでした。寿夢の死後、兄の諸樊が政治を行い、後に季札へ王位を譲ろうとしましたが、季札はそれも受けず、延陵に封ぜられるにとどまりました。
その後、王位は諸樊から余祭へ、さらに余昧へと移りました。余昧もまた、亡くなる前に王位を季札へ譲ろうとしましたが、季札はなおも受けませんでした。
『呉越春秋』には、このとき季札が「富貴之於我,如秋風之過耳」と述べたとあります。これは、富や高い身分は自分にとって、秋風が耳のそばを通り過ぎるようなものだ、という意味です。
この言葉は、季札が王位や富貴に執着しなかったことを表しています。耳を過ぎる風が手もとに残らないように、名誉や財産も心を動かすものではない、という潔い態度が示されています。
後に「秋風過耳」は、秋風が耳を過ぎるという形で、物事に関心を示さず、少しも気にしないことを表す成語になりました。もとは富貴を軽く見る高潔な態度を表しましたが、後には忠告や批評を聞き流すような意味にも広がりました。
「如風過耳」は、「秋風過耳」とほぼ同じ意味をもつ言い方として伝わっています。『南斉書』には「勿得敕如風過耳」とあり、戒めを風が耳を過ぎるように聞き流してはならない、という文脈で使われています。
明代の凌濛初『二刻拍案驚奇』にも、「把好言語如風過耳,一毫不理」とあります。よい言葉を聞いても、風が耳を過ぎるように少しも取り合わない、という意味で、現在の「聞き流す」「耳を貸さない」に近い使い方です。
清代の曾樸『孽海花』第二十三回にも、「如風過耳,毫不在意」とあります。ここでは、話を聞いても少しも心に留めない態度を表しており、「如風過耳」が日常的な比喩として定着していたことが分かります。
日本語の「風の耳を過ぐるが如し」は、この「如風過耳」を訓読調にした言い方です。風が耳を過ぎるという具体的な姿から、聞いても心に残さない態度を表す故事成語として理解されます。
「風の耳を過ぐるが如し」の使い方




「風の耳を過ぐるが如し」の例文
- 友人の忠告を風の耳を過ぐるが如しとして聞き流したため、同じ失敗をくり返した。
- 店長の注意を風の耳を過ぐるが如しにしていては、仕事の仕方は改まらない。
- 彼は世間のうわさを風の耳を過ぐるが如しとして、静かに自分の研究を続けた。
- 親の助言を風の耳を過ぐるが如しにせず、一度は素直に考えてみるべきだ。
- 名誉や金銭を風の耳を過ぐるが如しとする姿勢に、彼の人柄が表れている。
- 大切な説明を風の耳を過ぐるが如しにしていたので、作業の手順を間違えた。
主な参考文献
・中華民国教育部『成語典』。
・中華民国教育部『重編國語辭典修訂本』。
・趙曄『呉越春秋』後漢。
・蕭子顕『南斉書』梁。
・凌濛初『二刻拍案驚奇』1627年。
・曾樸『孽海花』1905〜1907年。























