「国破れて山河あり」の意味(語源由来・英語訳)
【ことわざ】
国破れて山河あり
【読み方】
くにやぶれてさんがあり
【意味】
内乱や戦いで国は滅び、城はもとの姿ではないが、自然はそのままだ。
国の戦乱と自然の悠久とを対比し、感慨深くいう言葉。
感慨深いことわざやね。
【語源・由来】
杜甫の詩「春望」より。
城春にして 草木深し
時に感じて 花にも涙を濺ぎ
別れを恨んで 鳥にも心を驚かす
烽火 三月に連なり
家書 万金に抵る
白頭掻いて 更に短かし
渾べて簪に 勝えざらんと欲す
【英語訳】
・The country is destroyed,yet mountains and rivers remain and spring comes to the castle,the grass is green again.
「国破れて山河あり」の解説
「国破れて山河あり」っていう言葉は、有名な詩人・杜甫さんの詩「春望」から来てるんだ。この言葉の意味は、たとえ国が戦争とかで大変な状態になっても、自然の中の山や川は変わらずそのままの姿で存在しているってことだよ。
つまりね、人間の争いや戦争で世界がどんなに変わっても、自然の美しさや大きさは変わらないっていうメッセージが込められているんだ。人々の営みがどんなに大変でも、自然はいつもそこにいて、私たちに力を与えてくれる存在ってことを教えてくれる言葉なんだよ。
「国破れて山河あり」の使い方
そのひとは日本に帰ってきて、国破れて山河ありという、中国の詩人の言葉が口をついて出た。って書いてた。
「国破れて山河あり」の例文
- わたしは今まで、あの仕事に夢中になりすぎていました。体を壊して、ふと自分の身の回りのことへ目をむけると、日常の尊さが身にしみます。
国破れて山河ありではないですが、自分が夢中になり翻弄されていたことで失われた時間が虚しいのです。 - 彼は戦争から戻ってきて、それ以後はこの小さな自分の田舎から他
外へ出ることは1度もありません。
国破れて山河ありと言って、山の生活や畑仕事で感じる四季のうつろいを味わえることに、日々感謝して過ごしているようです。
「国破れて山河あり」の文学作品などの用例
私は日本が戦争に負けるまで、自分がこれほど日本を愛しているということを知らなかった。国やぶれて山河あり、とはまさしく私の感慨でもあったが、八月十五日に敗戦を確認したとき、それが四年前の十二月八日の日から確信していた当然の帰結であったにも拘らず、「日本が本当によい国になるのは、これからだ」という溢れたつ希望と共に、祖国によせる思いもよらなかった愛情がこみあげてきて、こまった。(坂口安吾の風流より)
これは人間の活動や歴史の変遷とは別に、自然は永遠に変わらぬ存在として在り続けるという意味を持っているんだ。