【ことわざ】
大鍋の底は撫でても三杯
【読み方】
おおなべのそこはなでてもさんばい
【意味】
規模の大きなものは、残った一部分だけでも、普通のものとは比べものにならないほど大きいというたとえ。


【類義語】
・一升徳利こけても三分(いっしょうどっくりこけてもさんぶ)
・古川に水絶えず(ふるかわにみずたえず)
「大鍋の底は撫でても三杯」の語源・由来
「大鍋の底は撫でても三杯」は、大きな鍋に入った料理を大勢で食べたあとの様子をたとえにしたことわざです。もうほとんど残っていないように思えても、大鍋の底をさっとさらい集めれば、まだ碗に三杯ほどの量が取れるという意味から生まれました。
ここでいう「撫でる」は、手でやさしく触れるという意味ではありません。鍋の底に沿って、残った料理をしゃくしなどで軽くさらい集める動作を表しています。たくさん残っているようには見えないのに、実際に集めてみると三杯分にもなるところに、このことわざのおもしろさがあります。
ことわざの中では、「大鍋」と「三杯」の組み合わせが大切です。普通の鍋なら、底に残ったものはわずかでしょう。しかし、初めから容量の大きい鍋であれば、そのわずかな残りでさえ、数人分に当たる量になります。全体の規模が大きいほど、その一部や残りも大きくなるという道理を、目に浮かぶ食事の場面によって表した言い方です。
この具体的な意味から、やがて大きな商売や豊かな家、大きな組織などについても使われるようになりました。たとえば、多くの財産を失った人に、まだ十分な資産が残っている場合や、大きな会社が事業の一部を手放しても、豊かな資金や人材を保っている場合に当てはまります。大きなものは、一部を失っただけでは簡単には尽きないという見方です。
類義語の「一升徳利こけても三分」も、もとの量が多ければ、多少こぼれても中身が残るというたとえです。「大鍋の底は撫でても三杯」が、残った一部分の大きさに目を向けるのに対し、こちらは、元手が多ければ少し損をしても持ちこたえられるという意味で用いられます。
また、「古川に水絶えず」は、古い川の流れが簡単には絶えないことから、由緒ある家や長く続いたものには、衰えてもなお財産や力が残ることを表します。どちらも、長い間に蓄えられたものや、もともとの規模が大きいものは、少しくらい減ってもすぐにはなくならないという点でつながっています。
一方、「腐っても鯛」は、落ちぶれたり、状態が悪くなったりしても、優れたものは本来の価値を失わないというたとえです。「大鍋の底は撫でても三杯」が、量や規模の大きさを主に表すのに対し、「腐っても鯛」は質や身分の高さに重点があります。似た場面で使われることはありますが、表している考え方には違いがあります。
現在は、単に「大きいものは立派だ」とほめるだけでなく、もとの財力・人数・設備・蓄えなどが大きいため、その一部分だけでも相当な価値や働きがあることを表す言い方として用いられます。大鍋に残った三杯の料理という身近な光景が、規模の大きさと底力を分かりやすく伝えることわざとして定着したものです。
「大鍋の底は撫でても三杯」の使い方




「大鍋の底は撫でても三杯」の例文
- 大きな会社は一つの事業から撤退しても十分な資金を残しており、まさに大鍋の底は撫でても三杯だった。
- 祖父の家は土地の一部を売ったあとも広い畑を所有しており、大鍋の底は撫でても三杯という言葉が当てはまる。
- 巨大な倉庫から古い商品を処分しても在庫は山ほど残り、大鍋の底は撫でても三杯の状態だった。
- 大鍋の底は撫でても三杯で、その博物館は一つの展示室を閉じても数多くの資料を公開できる。
- 大型農園では収穫の終わった畑からも多くの野菜が集まり、大鍋の底は撫でても三杯だと驚かされた。
- 多くの選手が卒業した強豪校にも優れた部員が大勢残っており、大鍋の底は撫でても三杯というほかなかった。
主な参考文献
・現代言語研究会著『故事ことわざの辞典―日本語を使いさばく』あすとろ出版、2007年。
・集英社辞典編集部編『会話で使えることわざ辞典』集英社、1989年。























