「及ばぬ鯉の滝登り」の意味(語源由来・類義語・英語訳)
【ことわざ】
及ばぬ鯉の滝登り
【読み方】
およばぬこいのたきのぼり
【意味】
いくら頑張っても、目的を達成することは不可能であるということ。また、決して叶うことはない“恋”という意味で用いられる場合もある。
身分の違いで恋が叶わないとか、そんな辛い思いもあるんやな。目の前の現実をしっかり見て、無理せんで計画立てるのがええんやろな。
【語源・由来】
本来は“恋”と“鯉”をかけ、望みのない恋=非恋に対して用いられていた。また、鯉は激流に逆らいながら泳ぐ能力を持っているが、そんな鯉でも上から降って来る滝に逆らいながら登ることは出来ないということから転じてきている。
【類義語】
・高嶺の花
・花は折りたし梢は高し
【英語訳】
・The love is not accomplished.
●The love is not accomplished.
love ➡ 愛
accomplished ➡ (accomplishの過去形)達成する・成就する
直訳すると、「愛は成就しなかった」になる。
「及ばぬ鯉の滝登り」の解説
「及ばぬ鯉の滝登り」というのは、ちょっと難しい表現だけど、楽しい話が隠れているんだよ。
この言葉には、鯉が流れの速い川を必死に泳いで、最後には高い滝を登り切ると龍になるという伝説が元になっているんだ。
でも、これを「できないことはどうしてもできないよ」という意味で使うんだ。「鯉」の部分には「恋」という言葉をかけて、無理な恋愛のことにも使うことがあるんだよ。
例えば、おとぎ話で、王子様と一般の人との恋がうまくいかないことを表現するときなどに使うんだ。
だから、この言葉は、「頑張っても無理なことは無理だから、現実を見つめることも大切だよ」と教えてくれるんだね。でも、夢を追い求めることは素晴らしいことだから、自分に合う目標を見つけて、一生懸命になることが大事だよ!
「及ばぬ鯉の滝登り」の使い方
「及ばぬ鯉の滝登り」の例文
- 今回も僕の恋は及ばぬ鯉の滝登りで散ってしまった。
- 整形しない限りは及ばぬ鯉の滝登りで、いくら頑張ってもオードリー・ヘップバーンのような顔にはなれない。
- 及ばぬ鯉の滝登りをするぐらいなら最初から好きになるんじゃなかった。
- 学校一の高嶺の花に恋をするのは無謀すぎて及ばぬ鯉の滝登りになりかねない。
- 僕は自分の能力の限界を理解しているので及ばぬ鯉の滝登りにはならない。
- 及ばぬ鯉の滝登りと言うが、決して叶わないと分かっていても好きなのだから仕方ない。
- 仲間は野球をしている僕にメジャーに行けというが、今の段階では及ばぬ鯉の滝登りでしかない。
「及ばぬ鯉の滝登り」の文学作品などの用例
本来このような散財は自分でやってこそ面白かろうが見ているだけでは一向感興が乗って来ないものである。まして加十の身分としてはこんな散財などはたとえどう望んだとて及ばぬ鯉の滝登りだと思うから、いっそ忌々しさが先に立って、見ていればいるほど、腹が立って来るばかり。(久住十蘭の魔都より)
特に、身分の差などから叶わない恋愛の例に使われることが多いんだよ。このことわざは、鯉が滝を登る伝説からきているんだ。