【ことわざ】
三度目の正直
【読み方】
さんどめのしょうじき
【意味】
一度目や二度目では思い通りにならないことも、三度目にはうまくいくものだということ。
【対義語】
・二度あることは三度ある
「三度目の正直」の使い方
「三度目の正直」の例文
- 二度あることは三度あるのか、三度目の正直なのか、結果を見るまでは誰にも分らない。
- 三度目の正直で、やっと医学部に受かった彼は、今ではゴッドハンドと呼ばれる名医である。
- 逆立ちを二回失敗してしまったけれど、三度目の正直というので、もう一回やってみよう。
- 高校、大学とずっと野球を続けてきた彼は、三度目の正直をかけ、社会人野球で活躍してプロ野球に入団できた。
- 三度目の正直でやっと、名人に勝つことができた。
- 運動会が雨で二回も延期になったが、三度目の正直で、今日、無事に開催される。
“三度目の正直”は幸運といえるか 北村孝一【著】
「三度目の正直」は、ことわざとしてよく耳にし、口にする表現です。また、口にしないで心のなかで念じることもあるでしょう。
ひろく知られ、よく使われることわざなので、その意味や用法は論じるまでもないようですが、この表現をあらためて見直すと、わかるようで、どうもよくわからないところがあります。「三度目」はよいとして、この「正直」はどういうことでしょうか。
「正直」という言葉は子どもでもわかるものですが、そのふつうの意味--いつわりがない、すなおで正しい--でことわざを理解しようとしても、どうもしっくりしません。「三度目の正直」にはあまり古い用例がなく、いまのところ明治時代までしかさかのぼれないのも気にかかります。
古い用例がなく、ことわざ辞典に収録されたのも第二次世界大戦以後だったことから、英語の The third time lucky(三度目の幸運)の翻訳かもしれないと推測する向きもあります。しかし、私が調べたかぎりでは、「三度目の正直」は遅くとも明治10年代には日本語に定着しており、その時期までに英語から翻訳された痕跡は見当たりません。
ことわざは、長く使われるうちに、おおむね短くなる傾向があります。「仏の顔も三度」といいますが、元来はもっと長い形で、「仏の顔も三度なずれば腹をたてる」といっていたと推定されています。「三度目の正直」も、おそらく最初からこの形だったわけではなく、他に原形があって、使われているうちに一部が省略された可能性が高いと、私は考えています。
「三度目の正直」には、次のような類例があります。
「三度目が本〔当〕」、「三度目が大事」、「三度の神正直」、「三度目の神は正直」
江戸時代前期の咄本には、御神籤(おみくじ)を引く場面で「三度目が本」が登場しますから(『当世軽口咄揃』1679年刊)、このような発想がかなり古くからあったのはたしかでしょう。これら類例のなかで、江戸後期から昭和(戦後)まで使われていた「三度の神正直」や「三度目の神は正直」あたりは、「正直」というキーワードが共通し、「三度目の正直」の先駆けとみてよいでしょう。
昔の人は、おみくじを引いたり勝負(賭け事だけでなく、人生の勝負もあります)をするときに、その背後に人知(人の知識や知恵)をこえるものがあると感じ取り、「神」という言葉で表現することがよくありました。このように「神」をおぎなって考えると、「正直」というのも少しわかりやすくなりますね。ことわざの意味は、三度〔目〕の神は本当のことをすなおに示すと解釈できます。
今日では、「三度目の正直」というと、幸運がおとずれ、きっと良い結果がもたらされると思う人が多いようです。日本の文化のなかで「三」は、「七五三」や「三三九度」のようにおめでたいときに使われる数なので、よい結果を期待するのは無理もありません。
とはいえ、三度目の神が示すものは、幸運な結果だけとはかぎりません。ことわざを使うのは、最初にうまくいかず、二度目も思いどおりにならなかったときで、三度目に今度こそと気をひきしめて本気で集中してやってみても、結果は残念! ということも十分ありえますね。そういう厳しい結果を含めて、「三度目の正直」があるわけです。
そんな結果が出たとき、あなたなら、どうしますか? 力不足だったと素直に認める人もいれば、ついてなかったと残念がる人もいるでしょう。やるだけのことはやったから悔いはない、とさばさばした気分で、次は別のことにチャレンジする人もいますね。
受け止め方は人によってさまざまでしょうが、三度目の結果が出て、これで一区切りついた思う人がほとんどではないでしょうか。「三」は、めでたいだけでなく、日本人にとって重要な区切りの数でもあるのです。
余談ですが、囲碁や将棋では、同じ相手と三番たたかうことが多く、かつては一方が三連勝すると手合い(ハンディ)を変えるのがふつうでした(近年、碁会所では細かい点数制が採用されています)。 受験生が浪人をしてもほぼ二浪で断念するのも、心理的に「三度目の正直」とかかわりがあるのではないでしょうか。 (2025/3/8)
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