【故事成語】
烏合の衆
【読み方】
うごうのしゅう
【意味】
規律も統一もなく、ただ寄り集まっているだけの人々や軍勢のたとえ。


【英語】
・a rabble(統制のない群衆)
【類義語】
・烏集の衆(うしゅうのしゅう)
【対義語】
・一致団結(いっちだんけつ)
「烏合の衆」の故事
「烏合の衆」の「烏合」は、烏が群れ集まることを表します。「衆」は大勢の人々という意味で、烏がばらばらに集まるように、規律や統一のない人々をたとえた言い方です。
この表現は、中国の歴史書『後漢書(ごかんじょ)』(南朝宋・5世紀、范曄撰)の「耿弇列伝(こうえんれつでん)」に出てきます。『後漢書』は、後漢王朝とその前後の歴史を記した書物です。
物語の背景は、王莽(おうもう)が建てた新が崩れ、各地の武将や反乱軍が争っていた一世紀初めの中国です。王郎(おうろう)という人物が、漢の成帝の子である劉子輿(りゅうしよ)を名乗り、邯鄲(かんたん)で兵を挙げました。
当時二十一歳だった耿弇(こうえん)は、父のもとを離れ、政治の実権を握っていた更始帝のもとへ向かっていました。その途中、従者の孫倉と衛包は、王郎こそ正統な漢の皇族だと考え、王郎に従おうと耿弇に持ちかけました。
しかし、耿弇は王郎を偽りの賊と見抜き、「帰発突騎以轔烏合之衆、如摧枯折腐耳」と言いました。精鋭の騎兵を繰り出して烏合の衆を踏みにじるのは、枯れ木を砕き、腐ったものを折るようにたやすい、という意味です。
孫倉と衛包は忠告に従わず、耿弇のもとを去って王郎へ降りました。一方、耿弇は、のちに後漢の初代皇帝となる劉秀(りゅうしゅう)に会い、漁陽や上谷の兵を集めて王郎の軍勢と戦いました。
耿弇たちは各地で王郎の軍を破り、最後には、王郎が本拠とした邯鄲の攻略にも加わりました。耿弇が「烏合の衆」と呼んだ軍勢は、一時は大きな勢力をもっていましたが、強い結び付きや確かな統率を欠いていたのです。
この故事で大切なのは、敵の人数が少なかったということではありません。人が多く集まっていても、指揮する者や共通の目的がなければ、一つの組織として十分な力を発揮できないという点に、この表現の意味があります。
『後漢書』では、「烏合之衆」という表現が、耿弇の言葉だけでなく、ほかの列伝にも現れます。王郎が寄せ集めの軍勢を集めて燕や趙の地を震え上がらせた場面や、急に集まった兵を率いる者について論じる場面でも使われています。
『後漢書』に付された注には、「烏合は烏鳥の群れ集まるがごときなり」という趣旨の言葉があります。烏が群れ集まる様子を、人々が一つの命令に従わず、ばらばらに行動する集団に重ねた表現です。
日本では、『菅家文草(かんけぶんそう)』(900年・平安時代前期、菅原道真著)巻七の「書斎記」に、「至于烏合之衆、不知其物之用」という用例があります。十世紀初めには、中国の典籍に由来する「烏合之衆」が、日本の漢文学にも取り入れられていました。
漢文の「烏合之衆」は、日本語では「烏合の衆」と読まれ、そのまま定着しました。初めは軍勢や群衆を表すことが多かったものの、のちには、組織、団体、集会など、まとまりのないさまざまな集団にも用いられるようになりました。
大正5年(1916)に発表された河上肇の『貧乏物語』にも、十分な労働組合を組織していなかった労働者たちを「烏合の衆」と呼ぶ用例があります。ここでは、戦場の軍勢ではなく、結び付きの弱い社会集団を表しています。
現在の「烏合の衆」も、ただ大勢いることを非難する言葉ではありません。一人一人の能力よりも、統率、規律、連携を欠き、集団として力を発揮できない状態を厳しく言い表す故事成語です。
「烏合の衆」の使い方




「烏合の衆」の例文
- 作戦も指揮役もいない部隊は、人数が多くても烏合の衆にすぎない。
- 急に集められた選手たちは連携が取れず、試合では烏合の衆となってしまった。
- 委員会は意見をまとめる人がいないため、烏合の衆のような状態に陥った。
- 目的の異なる団体を寄せ集めただけでは、烏合の衆になるおそれがある。
- 経験豊かな指導者が加わったことで、烏合の衆だった一団がまとまり始めた。
- 会議に大勢が出席しても、方針を共有していなければ烏合の衆と変わらない。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・范曄『後漢書』南朝宋、5世紀。
・菅原道真『菅家文草』900年。
・河上肇『貧乏物語』1916年。























