【ことわざ】
我思う、故に我在り
【読み方】
われおもう、ゆえにわれあり
【意味】
確実な知識を得るためには、いっさいの知識を疑う必要がある。外部・内部の感覚や数字上の真理も疑う。そして、最後に残るものは思索している自分であり、自分の存在だけは疑うことができないということ。
【語源・由来】
近世哲学の祖、解析幾何学の祖といわれるデカルトの哲学の基礎をなす考え方を示している。「方法序説」より。ラテン語のコギト‐エルゴ‐スムが有名だが、デカルトはフランス語で「Je pense, donc je suis」「私は考えるので、私はある」と本に書き、デカルトと親交のあったメルセンヌがラテン語訳し「Cogito ergo sum」「我思う、ゆえに我あり」コギト・エルゴ・スムとした。
【英語訳】
I think, therefore I am.(我思う、故に我あり)
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「我思う、故に我在り」の使い方
今日、デカルトの我思う、故に我在りという言葉を習ったんだよ。
奥が深い言葉よね。近所の赤ちゃんが、自分の手を見つめたり、自分の足をかじったりしていたんだけど、そうすることで自分という存在を認識するらしいの。その姿を見た時に、赤ちゃんの自我の芽生えつまり我思う、故に我在りだなって思ったの。
赤ちゃんは、人間の中で一番哲学を理解している世代なのかもしれないね。
そうかもしれないわね。
「我思う、故に我在り」の例文
- 我思う、故に我在りという言葉があるが、意識はたえず意識を意識しているつまり意識が実存するに至る。
- 我思う、故に我在りという言葉があるが、あらゆる思考を停止したら、それはすなわち我思わず、故に我在らずで無に帰することになり、それは死ぬことなのだろうか。
- デカルトのはるか前に、ブッダが開いた悟りの根本に「すべては、人間の意識が作り出すもので、そこに絶対などというものはない」とあり、それは「我思う、故に我在り」なのである。
- 我思う、故に我在りは、方法的懐疑を経て「考える」たびに成立する。
- 我思う、故に我在り、私は考えていて、考える私がここに存在する。