【故事成語】
訴え無きを以て貴しと為す
【読み方】
うったえなきをもってたっとしとなす
【意味】
民が道義を守り、訴訟や争いが起こらないように世の中が整っていることを、政治の理想とする意味。


【英語】
・to cause the people to have no litigations(人々に訴訟を起こさせないようにする)
【類義語】
・和を以て貴しと為す(わをもってとうとしとなす)
「訴え無きを以て貴しと為す」の故事
この言葉のもとには、『論語』(紀元前5世紀ごろ、中国・春秋時代の孔子と弟子たちの言行録)に出てくる「聴訟、吾猶人也。必也使無訟乎」という一節があります。読み下すと、「訟えを聴くは、吾なお人のごとし。必ずや訟え無からしめんか」となります。
ここでいう「訟え」は、争いごとを裁くための訴訟を指します。孔子は、訴訟を聞いて判決する点では自分も他の人と大きく変わらず、むしろ訴訟のない世の中にしたい、と述べています。
この章の直前には、弟子の子路(しろ)が「片言以て獄を折むべき者」と評される章があります。これは、わずかな言葉からでも訴訟を裁けるほど判断力がある人物として、子路をたたえた表現です。
しかし、その次に置かれた孔子の言葉は、裁判の技量だけを理想とはしません。訴えが起きてからうまく裁くより、そもそも人々が争わずにすむ世の中を作るほうが大切だ、という考えを示しています。
この考えをはっきりまとめた形が、南宋(なんそう)の朱熹(しゅき)が著した『論語集注(ろんごしっちゅう)』にあります。『論語集注』は『論語』の注釈書で、南宋の朱熹が新しい哲学理論にもとづいて解釈した書物です。
『論語集注』には、楊時(ようじ)の注として「聖人不以聴訟為難、而以使民無訟為貴」とあります。これは、聖人は訴訟を裁くことを難しいとはせず、民に訴訟がないようにすることを貴いとする、という意味です。
現在の「訴え無きを以て貴しと為す」は、この「使民無訟為貴」という考えを、日本語の言い回しとして整えた形です。古い漢文の文脈では「訟え」と書き、現代の説明では分かりやすく「訴え」と表すことがあります。
この言葉は、争いが起きたあとに勝ち負けを決めることだけを重んじません。人々が礼を守り、互いに道義を失わず、訴える必要のない状態をつくることを理想とします。
そのため、単に「裁判がないほうが楽だ」という浅い意味ではありません。政治や社会のあり方として、不満や対立の原因を少なくし、人々が安心して暮らせる状態を尊ぶ言葉です。
現在も、学校や地域、職場などで、問題が起きてから処理するだけでなく、問題が起きにくい仕組みを作ることの大切さを述べる場面に通じます。争いを裁く力より、争いを生まない知恵を重んじるところに、この故事成語の核心があります。
「訴え無きを以て貴しと為す」の使い方




「訴え無きを以て貴しと為す」の例文
- 地域の話し合いでは、訴え無きを以て貴しと為す考えから、もめごとが起きる前に決まりを整えた。
- 学級会では、訴え無きを以て貴しと為すように、全員が納得できる当番表を作った。
- 会社は訴え無きを以て貴しと為す姿勢で、契約の内容を初めから分かりやすく示した。
- 訴え無きを以て貴しと為す政治は、民の不満を力で押さえるのではなく、争いの原因を少なくする。
- 家族で共有する物の使い方を決めておくことは、訴え無きを以て貴しと為す心がけに近い。
- 訴え無きを以て貴しと為すという考えは、問題を裁く力だけでなく、問題を生まない工夫を重んじる。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・平凡社編『改訂新版 世界大百科事典』平凡社、2007年。
・『論語』紀元前5世紀ごろ。
・朱熹『論語集注』南宋。























