【ことわざ】
陽炎、稲妻、水の月
【読み方】
かげろう、いなずま、みずのつき
【意味】
目には見えていても手に取ったり捕らえたりできないもの、また、動きが非常に素早く身軽なもののたとえ。


【英語】
・uncatchable(素早すぎて捕まえられない)
・elusive(捕らえにくい、つかみどころがない)
【類義語】
・鏡花水月(きょうかすいげつ)
「陽炎、稲妻、水の月」の語源・由来
「陽炎、稲妻、水の月」は、捕らえようとしても捕らえられない三つのものを並べたことわざです。それぞれの姿がもつ特徴を重ねることで、目には映っているのに手に取れないことや、追いつけないほど素早いことを強く表しています。
「陽炎」は、日光によって地面近くの空気が熱せられ、遠くの景色などが揺らいで見える現象です。姿らしいものは見えても、決まった形や実体をつかむことができないため、捕らえにくいもののたとえに適しています。
「稲妻」は、空中の放電によって生じる光です。一瞬だけ鋭く光って消えることから、古くから、非常に速い動きやきわめて短い時間を表すたとえにも使われてきました。
「水の月」は、水面に映った月の姿を指します。水の上には月がはっきりと映っていても、手を伸ばして月そのものを取り上げることはできないため、「目には見えるが手には取れないもの」を表すようになりました。
藤原公任の家集『公任集(きんとうしゅう)』(1044年ごろ・平安時代中期)には、「彼岸の遠きをしりて岩陰にみかけをやどす水の月哉」とあります。ここでは、岩陰の水に映る月の姿を詠んでおり、「水の月」が古くから水面の月影を表す言葉として使われていたことが分かります。
三つを続けた古い用例は、1514年ごろの大観本に伝わる謡曲『熊坂(くまさか)』に出てきます。『熊坂』は作者不明の能で、美濃国(みののくに)の赤坂を訪れた旅僧の前に、盗賊・熊坂長範の霊が現れ、自らが討たれた夜の出来事を語る作品です。
熊坂長範たちは、商人の吉次(きちじ)一行を襲いますが、その中には若き日の牛若丸がいました。牛若丸は盗賊たちを次々と退け、熊坂が長刀(なぎなた)で攻めても、身軽に飛びのいて姿をくらませます。
熊坂が牛若丸を追い詰めようとする場面には、「陽炎稲妻水の月かや。姿は見れども手に取られず」とあります。牛若丸の姿は確かに見えているのに、陽炎のように揺らぎ、稲妻のように素早く、水面の月のように手に取れないという意味です。
この場面では、三つのものが、ただ「はかないもの」として並べられているのではありません。姿を見せながら追手をすり抜ける牛若丸の速さと、どれほど手を尽くしても捕らえられない様子を、三つの像によって段階的に描いています。
江戸時代前期の浄瑠璃『烏帽子折(えぼしおり)』(1690年初演と推定)にも、「隠れ現れ陽炎稲妻水の月、手にもたまらず防がるる」とあります。ここでも、現れたかと思えばすぐに消え、相手の手に捕らえられないほど素早い動きを表しています。
こうして「陽炎、稲妻、水の月」は、能や浄瑠璃の勇ましい場面で、姿は見えても捕まえられない身軽な人物を表す言い方として用いられました。その具体的な情景から意味が広がり、現在では、目の前にありながら手にできないものや、非常に素早く捕らえにくいものを表すことわざとして使われています。
「陽炎、稲妻、水の月」の使い方




「陽炎、稲妻、水の月」の例文
- その小柄な選手は陽炎、稲妻、水の月のように守備の間をすり抜け、決勝点を挙げた。
- 木立を駆ける鹿は陽炎、稲妻、水の月のように素早く、カメラを向ける前に姿を消した。
- 追手は陽炎、稲妻、水の月さながらの忍者を、とうとう捕らえられなかった。
- 舞台の剣士は陽炎、稲妻、水の月を思わせる身軽さで、次々と攻撃をかわした。
- 目の前に現れては消える怪盗は陽炎、稲妻、水の月のようで、警備員の手を逃れ続けた。
- 子猫は陽炎、稲妻、水の月のごとく家具の間を走り抜け、抱き上げようとする家族を翻弄した。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・佐成謙太郎著『謡曲大観 第二巻』明治書院、1954年。
・Cambridge University Press『Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus.』
・藤原公任『公任集』1044年ごろ。
・作者不明『熊坂』大観本、1514年ごろ。
・近松門左衛門『烏帽子折』1690年初演(推定)。























