【故事成語】
影を畏れ迹を悪む
【読み方】
かげをおそれあとをにくむ
【意味】
自分で悩みごとを作り出し、心を平静に保てなくなることのたとえ。


【類義語】
・杞憂(きゆう)
・取り越し苦労(とりこしくろう)
【対義語】
・泰然自若(たいぜんじじゃく)
「影を畏れ迹を悪む」の故事
この言葉のもとになった話は、『荘子(そうじ)』(中国・戦国時代後期を中心に成立した道家の書)の雑篇「漁父」第三十一に出てきます。現行の『荘子』は内篇・外篇・雑篇から成り、荘周とその後学を含む複数の書き手の文章を集めた書です。
「漁父」では、孔子が弟子たちとともに林の中におり、琴を弾いていました。そこへ年老いた漁師が現れ、孔子がどのような人物なのかを弟子たちに尋ねます。
弟子は、孔子が忠信と仁義を重んじ、礼楽を整え、人々を教え導くことによって天下の役に立とうとしている人物だと答えます。しかし、漁師は、孔子が人の世のことに心を使いすぎ、自分の本来の姿を危うくしていると見抜きます。
孔子は漁師を追いかけて教えを求め、自分は魯(ろ)を追われ、衛(えい)では足跡を消され、宋(そう)では木を切り倒され、陳(ちん)と蔡(さい)の間では包囲されたと語ります。そして、なぜ自分がこのような非難や災難に遭うのかと尋ねました。
すると漁師は、孔子の考え違いを示すため、影と足跡を恐れる人のたとえ話を語ります。ある人が自分の影を恐れ、自分の残す迹(あと:足跡)を嫌い、それらから逃れようと走りだしました。
しかし、足を動かす回数が増えるほど、地面には多くの足跡が残ります。また、どれほど速く走っても、影はその人の体から離れません。
その人は、自分がまだ十分に速く走っていないから、影と足跡から逃れられないのだと思い込みました。そこで、休むことなく走りつづけ、とうとう力を使い果たして死んでしまいます。
影を消したければ、日の当たらない陰に入ればよく、足跡を増やしたくなければ、静かに立ち止まればよいだけでした。しかし、その人は逃げることばかりに心を奪われ、苦しみの原因を取り除くという簡単な方法に気づかなかったのです。
漁師はこの話を孔子に重ね、自分自身を修めず、外にいる人々を変えようと追い求めるからこそ、かえって苦しみや非難を招くのだと説きます。まず自分の真実を守れば、外の物事に振り回されずに済むという教えです。
影と足跡を用いたよく似た比喩は、前漢の文人・枚乗(ばいじょう)が、反乱を企てる呉王濞(ごおうひ)を諫めた「上書諫呉王」にも出てきます。この文章は、南朝梁の昭明太子蕭統が編んだ『文選(もんぜん)』(6世紀成立)の巻三十九に収められています。
そこには、「人性有畏其影而惡其迹。却背而走、迹愈多、影愈疾。不如就陰而止。影滅迹絶」とあります。影と足跡を嫌って走れば走るほど、足跡は増え、影も速くついてくるので、陰に入って止まるほうがよいという意味です。
この比喩は、起きた結果から逃げ回るよりも、その原因となる行いをやめることが大切だと教えています。『荘子』と枚乗の文章のどちらにも同じ発想が出てくることから、影と足跡の話が、中国で古くから、自ら招く苦悩を戒めるたとえとして用いられていたことが分かります。
日本語の「影を畏れ迹を悪む」は、原文にある「畏影惡迹」を訓読した形です。「迹」はここでは足跡を表し、「悪む」は嫌う、憎むという意味で使われています。
こうして現在では、実際の影や足跡を恐れることではなく、心の中で不安や苦悩を作り出し、そこから逃れようとすることで、ますます心の平静を失うことを表す故事成語として用いられています。
「影を畏れ迹を悪む」の使い方




「影を畏れ迹を悪む」の例文
- 失敗を恐れて計画を何度も変更し、かえって混乱を招くのは、影を畏れ迹を悪むようなものだ。
- 根拠のないうわさにおびえて弁明を重ねるほど疑いを深めるとは、まさに影を畏れ迹を悪むである。
- 検査結果が出る前から重い病気だと思い込んで眠れなくなる姿は、影を畏れ迹を悪むに等しい。
- 周囲の評価を気にして指示を次々に変える社長は、影を畏れ迹を悪む状態に陥っていた。
- 友人が怒っていると決めつけて避けつづけ、関係をこじらせるのは、影を畏れ迹を悪む行いだ。
- 将来への不安から投資先を慌ただしく変えつづける様子を、祖父は影を畏れ迹を悪むと戒めた。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・金谷治訳注『荘子 第四冊 雑篇』岩波書店、1983年。
・蕭統編『文選』南朝梁、6世紀成立。























