「眼裏に塵あって三界窄し」の意味(語源由来)
【ことわざ】
眼裏に塵あって三界窄し
【読み方】
がんりにちりあってさんがいすぼし
【意味】
心に迷いがあると判断力が鈍るということ。
「三界」は、仏教で全世界のこと。「窄し」は、すぼんで細い。
「眼裏に塵あって三界窄し」という言葉は、心の中に微細な迷いや不安があると、この広い世界の真実や本質を正確に捉えることが難しくなる、という意味があるんだよ。
なるほどな。ちょっとしたゴミが目に入るだけで、すぐ前の景色がボヤけて見えるのと同じやな。
心にちょっとした迷いがあると、大きなことを正しく見るのが難しくなる。まあ、メガネにちょこっと汚れがついてると、すぐ周りが見づらくなるようなもんやね。
【語源・由来】
小さなゴミでも目の中に入ると、視界がぼやける意から。
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「眼裏に塵あって三界窄し」の解説
カンタン!解説
「眼裏に塵あって三界窄し」っていう言葉は、ちょっとした小さなことでも、それが目に入ると周りが見えにくくなるって意味から来ているんだよ。
例えば、目に小さなほこりが入ると、ちょっとしたことでも視界がぼやけて見えにくくなるでしょ?それと同じで、心にちょっとした迷いや悩みがあると、世の中の本当の姿や真実が見えにくくなるんだっていうことを表しているんだよ。
だから、この言葉は、ちょっとしたことに気を取られすぎないで、心をクリアに保つことで、もっと広い視野で物事を見ることが大切っていうことを教えてくれるんだよ。
「眼裏に塵あって三界窄し」の使い方
迷うなあ。どうしようかなあ。
眼裏に塵あって三界窄しよ。迷うと間違えるわよ。
間違えたくはない。正しい判断をしたいんだ。だから迷っているんだ。
ならば迷いを振り払わないとね。
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「眼裏に塵あって三界窄し」の例文
- 心に迷いがあると眼裏に塵あって三界窄しで、真実が見えなくなる。
- 心頭滅却して迷いを消さないと眼裏に塵あって三界窄しとなる。
- 進むべきが決まらず迷うと、眼裏に塵あって三界窄しとなり見誤ることになる。
- 眼裏に塵あって三界窄しというので、座禅を組んで迷いを消す。
- 迷いなくクリアな頭でなければこのプロジェクトを成功させることはできない。眼裏に塵あって三界窄しという、迷っている暇はない。