【ことわざ】
木登りは木で果てる
【読み方】
きのぼりはきではてる
【意味】
得意な技能を持つ者が、かえってその技能のために身を滅ぼすことのたとえ。木登りの上手な者が、結局は木から落ちるなどして木で死ぬという意にもとづく。


【英語】
・Good swimmers are often drowned.(泳ぎ上手は溺れることが多い)
【類義語】
・川立ちは川で果てる(かわだちはかわではてる)
・芸は身の仇(げいはみのあだ)
・策士策に溺れる(さくしさくにおぼれる)
【対義語】
・芸は身を助ける(げいはみをたすける)
「木登りは木で果てる」の語源・由来
「木登りは木で果てる」は、木に登ることを得意とする人が、その木登りによって命を落とす、という具体的な見立てから生まれたことわざです。「木登り」は木によじ登ることを表し、「果てる」は終わるという意味から、死ぬことも表します。
このことわざの要点は、技能そのものを悪いものと見るところにはありません。得意であるために慣れが生まれ、慣れが油断を招き、その結果として失敗や災いにつながる、という戒めを表します。
古い用例として、『碧巖虎哉抄』(1570年ごろ、虎哉宗乙講義)八に、「木のぼりは木てはて、水れんは水ではつると云義」とあります。これは、木登りをする者は木で果て、水練にすぐれた者は水で果てる、という意味です。
虎哉宗乙は、1530年から1611年に生きた、戦国時代から江戸時代前期の臨済宗の僧です。伊達政宗の師としても知られ、禅の教えや漢文の理解を背景にもつ人物でした。
『碧巖虎哉抄』は、禅宗で重んじられた『碧巌録(へきがんろく)』を講じた抄物の一つです。『碧巌録』は、中国・宋代の圜悟克勤が、雪竇重顕の百則の公案に垂示・著語・評唱を加えた禅の書物で、1125年に成立しました。
この古い用例では、「木登り」と「水練」が並べられています。木に慣れた者が木で命を失い、水に慣れた者が水で命を失うという対応によって、得意なことほど身を損なう原因になりやすい、という考えが分かりやすく示されています。
同じ発想は、中国古典にも近い形で出てきます。『淮南子(えなんじ)』原道訓には、「夫善遊者溺,善騎者墮,各以其所好,反自為禍」とあり、泳ぎの上手な者は溺れ、乗馬の上手な者は落ちる、それぞれ好むものによって、かえって自ら災いを作るという意味を述べています。
ただし、「木登りは木で果てる」そのものは、中国の特定の人物の故事をそのまま受けた言葉ではありません。日本語では、木登りという身近で具体的な行為に置き換えられ、得意なわざによる油断を戒めることわざとして定着しました。
後には、「川立ちは川で果てる」「芸は身の仇」「策士策に溺れる」など、同じ考えを表す言い方と並べて理解されるようになりました。いずれも、才能や経験があるからこそ危険を軽く見てしまい、その力のある分野でかえって失敗する、という点で通じています。
現在では、木登りそのものだけでなく、勉強、運動、仕事、機械の操作、対人関係など、幅広い場面で使われます。得意なことほど基本を忘れず、慣れている場面ほど慎重に行うべきだという教訓を、短く印象的に伝えることわざです。
「木登りは木で果てる」の使い方




「木登りは木で果てる」の例文
- 運転に慣れた人ほど確認を怠ることがあり、木登りは木で果てるという戒めを忘れてはならない。
- 兄は料理が得意だからと包丁を雑に扱い、指を切って木登りは木で果てると反省した。
- パソコンに詳しい社員が基本の確認を省いて大切なデータを消し、木登りは木で果てるという結果になった。
- 水泳部の生徒ほど川遊びで無理をしやすく、木登りは木で果てるという言葉が重く響く。
- 経験豊かな職人が安全帯をつけ忘れてけがをし、木登りは木で果てるの例となった。
- 得意な計算問題で見直しをしなかったために点を落とし、木登りは木で果てると感じた。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・虎哉宗乙講義『碧巌録抄』1570年ごろ。
・圜悟克勤『碧巌録』1125年。
・劉安編『淮南子』前漢、紀元前2世紀。























