【ことわざ】
親思う心にまさる親心
【読み方】
おやおもうこころにまさるおやごころ
【意味】
子が親を思う心よりも、親が子を思いやる心のほうが、はるかに深いということ。


【類義語】
・親の心子知らず(おやのこころこしらず)
【対義語】
・子の心親知らず(このこころおやしらず)
「親思う心にまさる親心」の語源・由来
このことわざは、幕末の思想家・教育者である吉田松陰が、安政6年(1859年)10月20日に父・叔父・兄へ送った書簡に記した和歌の上の句から生まれました。松陰は同月27日、安政の大獄によって江戸で刑死しており、この書簡は、死を覚悟して故郷の家族に別れを告げるために書かれたものでした。
その歌は、「親思ふこころにまさる親ごころ けふの音づれ何ときくらん」です。初めの「親思ふこころ」は、子である松陰が親を案じる心を表し、後の「親ごころ」は、親が子を思う心を指しています。
松陰は歌の前で、自らの学問と誠意が足りず、思いがけない重大な事態に至ったことや、家族が深く悲しむであろうことを述べています。そのうえで、自分がどれほど父母を思っても、父母が自分に注いできた心には及ばず、今日届く便りを、両親はどのような思いで聞くだろうかと案じました。
もともとは五・七・五・七・七からなる一首の短歌で、「親思ふこころにまさる親ごころ」は、初めの十七音に当たります。後にこの部分だけが取り出され、子を思う親の愛情の深さを言い表すことわざとして、広く知られるようになりました。
直接の出典は松陰の歌ですが、子を思う親の心を何よりも深いものとして詠む発想は、それより約九百年前の『土佐日記(とさにっき)』(935年頃成立、平安時代中期、紀貫之著)にも現れます。『土佐日記』は、土佐での任期を終えた紀貫之が、都へ帰る船旅を仮名文で記した作品です。
その旅の途中、土佐で亡くなった娘を思い出し、母親が深く悲しむ場面に、「世の中におもひやれども子を戀ふる思ひにまさる思ひなきかな」とあります。世の中のさまざまな思いを考えてみても、わが子を恋しく思う親の心に勝るものはない、という意味です。
ただし、『土佐日記』の歌が、松陰の歌の直接のもとになったとまでは断定できません。二つの歌は、親が子を思う心は何にも比べられないほど深いという、共通した思いを表しています。
松陰の歌には、死を前にした子が親の悲しみを思いやるという、切実な場面が背景にありました。現在では、死や別れの場面に限らず、親が子の健康や安全、暮らしや将来を案じる心は、子が想像する以上に深いことを表すことわざとして使われています。
「親思う心にまさる親心」の使い方




「親思う心にまさる親心」の例文
- 留学先から両親の体を案じて電話したが、両親は息子の食事や健康ばかり心配し、親思う心にまさる親心を実感させた。
- 入院した母を見舞った娘に、母は娘の帰り道の安全を気づかい、親思う心にまさる親心そのものだった。
- 修学旅行へ出かける子ども以上に、荷物や体調を心配する母の姿は、親思う心にまさる親心を思わせた。
- 災害のあと、子どもが無事だと分かるまで眠らずに連絡を待った父に、親思う心にまさる親心が表れていた。
- 苦しい家計の中でも子どもの進学費用を用意した両親を見て、彼は親思う心にまさる親心の深さを知った。
- 成人した子が親を心配して訪ねてくると、親は子の仕事や暮らしをさらに案じ、親思う心にまさる親心という言葉どおりだった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・山口県教育会編『吉田松陰全集 第9巻』岩波書店、1935年。
・鈴木知太郎ほか校注『土左日記・かげろふ日記・和泉式部日記・更級日記』岩波書店、1957年。























