【故事成語】
怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破る
【読み方】
あやしきをみてあやしまざれば、あやしみかえってやぶる
【意味】
怪しく不思議なことを見ても、むやみに気にかけたり恐れ騒いだりしなければ、その怪しさは自然に消えるということ。


【類義語】
・怪を見て怪しまざれば、怪しみ却って破る(あやしみをみてあやしまざれば、あやしみかえってやぶる)
【対義語】
・疑心暗鬼を生ず(ぎしんあんきをしょうず)
「怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破る」の故事
この故事成語のもとには、中国で古くから用いられた「見怪不怪、其怪自壊」という考え方があります。「怪しきを見ても、それを怪しいものとして恐れなければ、その怪しさは自然にこわれる」という意味で、奇妙なものに出会ったときこそ、心を乱さず平静でいることを説く言い方です。
中国南宋の洪邁が編んだ『夷堅志』(いけんし)は、官吏として各地で聞き集めた怪事や奇談をまとめた書物です。もとは四二〇巻あったと伝わり、宋代の民衆生活や怪異への受け止め方を知るうえでも重要な文献です。
その『夷堅志』三志己巻二「姜七家猪」には、寿春の姜七という人物の家で、牝豚が人の言葉を話し、自分は姜七の祖母だと名乗る話が出てきます。驚いた客たちは姜七に事情を告げますが、姜七は「畜生之言、何足為信」と言い、「見怪不怪、其怪自壊」と語って、怪しいこととして騒がない態度を示します。
この場面で大切なのは、怪異そのものをこわがるよりも、人の心が怪異を大きくしてしまう点です。姜七の言葉は、奇妙な出来事を前にしても大騒ぎせず、落ち着いて受け止めれば、怪しさは力を失うという考えを表しています。
日本では、兼好の『徒然草』(つれづれぐさ)(1330〜1331年ごろ成立、鎌倉時代末期の随筆)第二〇六段に、この考えが早くから現れます。検非違使庁で、牛が長官の座に上がって寝ていたため、人々は重大な怪異だとして陰陽師に占わせようとしますが、父の相国は「牛には分別がないのだから、どこへでも上がる」と冷静に判断し、牛を持ち主へ返して畳を取り替えさせました。その後、凶事は起こらず、段末に「あやしみを見てあやしまざる時は、あやしみかへりて破る」と記されています。
この『徒然草』の用例では、中国の怪異譚そのものを説明するのではなく、日常の中で起きた不思議な出来事をどう受け止めるかが示されています。牛が役所の席に上がるという unusual な出来事を、災いの前触れと決めつけず、ただの牛の行動として扱ったところに、現在の意味につながる落ち着いた判断の姿があります。
後の江戸時代には、近松門左衛門作の人形浄瑠璃『関八州繋馬』(かんはっしゅうつなぎうま)(1724年初演)にも、「あやしきを見てあやしまざれば、怪却而破る」と近い形が出てきます。ここでは「怪しみ」ではなく「怪しき」を前に出す形が用いられ、今の「怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破る」という言い回しに近づいています。
このように、もとの漢文では「見怪不怪、其怪自壊」と短く言い、日本では『徒然草』の「あやしみを見てあやしまざる時は、あやしみかへりて破る」という形を経て、「怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破る」という言い方も用いられるようになりました。怪しいものを恐れでふくらませず、冷静に受け止めれば、その怪しさはおのずから力を失う、という考えが一貫して受け継がれています。
「怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破る」の使い方




「怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破る」の例文
- 古い校舎で物音がしたが、怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破ると思い、先生と原因を確かめた。
- 根拠のないうわさにおびえるより、怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破るという姿勢で落ち着いて話を聞いた。
- 夜中に庭の影が動いたように見えたが、怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破ると考えてライトを当てると、木の枝だった。
- 仕事の連絡に不自然な点があったため、怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破るの気持ちで、騒がず事実を一つずつ確認した。
- 友人の態度を勝手に疑う前に、怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破ると心に留め、直接穏やかに話した。
- 地域で不気味な話が広まったが、怪しきを見て怪しまざれば、怪しみ却って破るとして、自治会は冷静に原因を調べた。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・北村孝一編『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・洪邁『夷堅志』。
・兼好『徒然草』1330〜1331年ごろ。
・近松門左衛門『関八州繋馬』1724年。























