【ことわざ】
浅瀬に仇波
【読み方】
あさせにあだなみ
【意味】
思慮の浅い者ほど、落ち着きなく大騒ぎすることのたとえ。


【英語】
・Empty vessels make the most sound.(中身のない者ほどよく騒ぐ)
・Still waters run deep.(静かな人ほど深い考えをもつことがある)
【類義語】
・空樽は音が高い(あきだるはおとがたかい)
・空の樽ほど音が大きい(からのたるほどおとがおおきい)
・能無し犬の高吠え(のうなしいぬのたかぼえ)
【対義語】
・深い川は静かに流れる(ふかいかわはしずかにながれる)
・能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)
・上手の猫が爪を隠す(じょうずのねこがつめをかくす)
「浅瀬に仇波」の語源・由来
このことわざの出発点にあるのは、深い水は静かで、浅いところほど波が立って騒がしくなる、という水のようすです。まず自然の姿をたとえにし、そこから人の言動へ意味を広げた言い方だと分かります。
「仇波」は、たいした風もないのに立つ波、また軽々しい行いなどをたとえる言葉です。ここでの「あだ」は、相手への恨みではなく、むやみで落ち着かない感じを表しています。
古いもととしてたどれるのは、『古今和歌集(こきんわかしゅう)』恋四の歌です。『古今和歌集』は、905年(延喜5年・平安時代前期)ごろに成立した、日本最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)です。
この歌は、素性法師(そせいほうし)の作として伝わっています。辞書には、この歌の内容から「浅瀬に仇波」ということわざができたと示されています。
歌の内容をやさしく言えば、底知れないほど深い淵(ふち)は騒がず、浅い瀬にこそむやみに波が立つ、ということです。深さと静けさ、浅さと騒がしさを対比させることで、人の心や言葉のあり方をたとえています。
もともとの歌が恋の巻に入っていることから、はじめは男女の心やことばの軽さをにおわせる歌だったと考えられます。けれども、たとえそのものがたいへん分かりやすかったため、しだいに恋の場面だけに限られない教訓的な言い方として受け取られるようになりました。
ここで大事なのは、ただ「よくしゃべる人」を指すだけではないことです。考えが浅いまま事に当たり、必要以上に声を荒らげたり、落ち着きなく騒ぎ立てたりするところまで含めて、このことわざは言い表します。
表記にも少し書き方の違いがあり、古い歌では「あだ浪」と書かれています。現在は「仇波」と書く形がよく知られますが、「あだ波」や「徒波」と通じる言葉として考えると、意味がつかみやすくなります。
つまり、このことわざは、水の浅い場所に立つ落ち着かない波の姿を、そのまま人の浅はかなふるまいに重ねたものです。深いものはむやみに騒がず、浅いものほど外に音を立てやすい、という見方が、短い形にぎゅっとまとめられています。
今でもこのことわざが古びないのは、学校でも家庭でも社会でも、よく分からないまま大きな声で騒ぐ人がいるからでしょう。静かであることそのものをほめる言葉ではなく、中身のない騒ぎ方をいましめる言葉として受け取りたいことわざです。
「浅瀬に仇波」の使い方




「浅瀬に仇波」の例文
- 学級会で資料も読まずに声を荒らげるのは、浅瀬に仇波と言うほかない。
- 夕食の献立が少し変わっただけで大騒ぎする弟を見て、母は浅瀬に仇波だと苦笑した。
- うわさを聞いただけで相手を責め立てるのは、浅瀬に仇波の振る舞いだ。
- 運動会の進行表を最後まで確かめず、放送のまちがいを大事のように騒ぐのは浅瀬に仇波である。
- 会議の論点を理解しないまま強い言葉で反対する社員に、浅瀬に仇波という評価が向けられた。
- 事実がそろわないうちからSNSで騒ぎ立てる態度は、浅瀬に仇波になりやすい。























