【ことわざ】
朝顔の花一時
【読み方】
あさがおのはなひととき
【意味】
物事の栄えや美しさが長く続かず、すぐに衰えることのたとえ。はかない栄えのたとえ。


【英語】
・short-lived glory(短く終わる栄光)
・fleeting prosperity(長続きしない繁栄)
・brief splendor(つかの間の華やかさ)
【類義語】
・槿花一日の栄(きんかいちじつのえい)
・槿花一朝の夢(きんかいっちょうのゆめ)
・盛者必衰(じょうしゃひっすい)
・亢竜悔いあり(こうりょうくいあり)
【対義語】
・万代不易(ばんだいふえき)
・万世不易(ばんせいふえき)
・千古不易(せんこふえき)
「朝顔の花一時」の語源・由来
このことわざは、朝顔の花が朝に咲き、ほどなくしぼんでしまう性質を、そのままたとえにした言い方です。言葉の出発点はとても具体的で、花の短い命を見て、人の世の栄えもまた長続きしないと考えたところにあります。
意味としては、ただ「短い時間」をいうのではありません。いったん華やかに栄えたもの、美しく人の目を引いたもの、勢いのあったものが、ほどなく衰えることをいう点が大事です。
このことわざに近い古い言い回しとして、朝顔の短い命を大きな時間の流れと対比させる表現が、中国古典『荘子(そうじ)』の「逍遙遊(しょうようゆう)」に結びつけて伝えられています。そこでは、寿命のきわめて短いものは長い時間のめぐりを知りえない、という考えが背景にあります。
「晦朔(かいさく)」は、月の終わりと始まり、つまりひと月のめぐりを指す言葉です。朝だけでしぼむ花をたとえに出すことで、ほんのわずかなあいだしか続かないものの頼りなさが、いっそうはっきり伝わります。
日本語の形として、このことわざが古い用例として確かめられるのは、1732年(享保17年・江戸時代中期)の『駿台雑話(すんだいざつわ)』です。そこには、朝顔の花の短さと、千年を経る松の変わらなさとを対比する形で、この言い方が出てきます。
この用例からは、ただ花が早くしぼむという事実だけでなく、短い栄えと長い命とを比べる見方が、すでにことわざの芯になっていたことが分かります。つまり、はかなさを感じるだけでなく、長く変わらないものへのあこがれも、同時にこめられていたのです。
朝顔そのものは中国から伝わった植物で、日本では薬用から広まり、のちに観賞用として親しまれるようになりました。とくに江戸時代には栽培が盛んになり、多くの人が花の姿や性質をよく知っていたため、このたとえも自然に通じやすかったと考えられます。
また、このことわざは「槿花一日の栄(きんかいちじつのえい)」と近い意味で並べられます。木槿(むくげ)も一日のうちにしぼむ花として知られ、花の短命さを人の栄華のはかなさへ重ねる見方が、東アジアで広く共有されていたことがうかがえます。
そのため、「朝顔の花一時」は、ただ一日で終わるという事実をいう言葉ではありません。人の人気、家の栄え、世の評判、見た目の華やかさなどが、思ったより早くしぼんでしまうことを、少ししみじみとした気持ちで表すことばです。
現代でも、急に注目を集めた流行や人気者が、ほどなく話題にならなくなる場面で使えます。ただし、まだ勢いが続いている最中のものに軽々しく使うと、意味がずれやすいため、衰えが実際にはっきりしてから用いるのが自然です。
こうして見ると、「朝顔の花一時」は、朝顔の姿を借りて、栄えの短さを静かに言い表したことわざです。目立つものほど長くは続かないことがある、という昔からの実感が、やさしく、それでいて印象深い形にまとまった言葉だといえます。
「朝顔の花一時」の使い方




「朝顔の花一時」の例文
- 文化祭で大評判になった出し物も、翌週には話題が消え、朝顔の花一時であった。
- 新しく開いた店は連日満員だったが、半年後には客足が遠のき、朝顔の花一時に終わった。
- 一時は時代の寵児ともてはやされた俳優も、人気の移り変わりの前では朝顔の花一時であった。
- 急に注目された企画であっても、中身が伴わなければ朝顔の花一時になりやすい。
- 若いころの美しさや勢いも永遠ではなく、朝顔の花一時と思っておごらぬことが大切だ。
- 景気のよい時期だけを見て安心すると、その繁栄が朝顔の花一時だったと気づくことがある。























