朝に紅顔有りて夕べには白骨と為る(あしたにこうがんありてゆうべにははっこつとなる)ということわざの本当の意味を知っているだろうか?
この言葉は、戦乱や流行病、医学の未発達などにより、人々が長くは生きられなかった時代に生まれた言葉である。
平安時代の『和漢朗詠集』下、藤原義孝の詩句「朝に紅顔あって世路に誇れども、夕べに白骨となって郊原に朽ちぬ」から引用されたもので、現代語に訳すと「朝には浮き世を若々しい血色を誇って我が物顔に生きていた華やかな人も、その日の夕方には亡くなって野外の塚に白骨となって埋もれているかもしれない」という意味になる。
この言葉は義孝が、冷泉院の后が25歳で亡くなったことで作ったと伝えられている。
しかしながら、その義孝も享年20歳という若さで病死した。
また、この詩は浄土真宗の開祖・親鸞の子孫として生まれた蓮如が、御文と呼ばれる教義を手紙の形にしてわかりやすくしたものによって布教を行ったことで知られ、その中の一つに義孝の詩を引用したことで一気に有名になった。
その御文は、義孝の詩中にある言葉をとって「白骨の御文」と呼ばれ、今は元気な人でもいつ亡くなってしまうかわからないのだから、刹那的な生き方をやめて、これからの生き方を真剣に考えなさいと説く。