【故事成語】
疑心暗鬼を生ず
【読み方】
ぎしんあんきをしょうず
【意味】
疑う心があるために、何でもないことまで恐ろしく思えたり、疑わしく感じたりすることのたとえ。


【英語】
・be suspicious of everything.(何もかも疑わしく感じる)
・be afraid of one’s own shadow.(必要以上に何でも怖がる)
【類義語】
・疑心暗鬼(ぎしんあんき)
・杯中の蛇影(はいちゅうのだえい)
【対義語】
・虚心坦懐(きょしんたんかい)
・明鏡止水(めいきょうしすい)
「疑心暗鬼を生ず」の故事
「疑心暗鬼を生ず」は、中国の古典『列子(れっし)』「説符(せつふ)」に出てくる斧の話と、その後の注釈に見える言葉にもとづく故事成語です。『列子』は、道家の思想書で、現行本は八編から成り、列禦寇の撰と伝えられますが、現行本は前漢末から晋代にかけて成立したといわれています。
『列子』「説符」には、斧をなくした人の話があります。ある人が自分の斧を失い、隣の家の子どもが盗んだのではないかと疑いました。
その人は、隣の子どもの歩き方を見ても、顔つきを見ても、言葉を聞いても、すべてが斧を盗んだ者のように思えてしまいました。原文には、「動作態度,無爲而不竊鈇也」とあり、その動きや態度のどれもが盗んだように感じられた、という意味です。
ところが、しばらくして、その人が谷を掘ると、自分の斧が見つかりました。斧は隣の子どもが盗んだのではなく、自分の思い違いだったのです。
斧が見つかったあとで、同じ隣の子どもを見ると、動作や態度のどこにも、斧を盗んだ者らしいところはありませんでした。相手が変わったのではなく、疑う心がなくなったため、見え方そのものが変わったのです。
この話そのものは、疑いの心が人の判断をゆがめることを、たいへん分かりやすく示しています。確かな証拠がないまま疑いを抱くと、相手のふつうのしぐさや言葉まで、疑わしいものとして見えてしまうのです。
「疑心暗鬼を生ず」という形の言葉は、南宋の林希逸が著した『沖虚至徳真経鬳齋口義』に出てきます。この書物は『列子』の注釈書で、早稲田大学所蔵本の書誌にも「列子鬳斎口義」「林希逸」とあります。
『沖虚至徳真経鬳齋口義』「説符第八」では、斧をなくした人の話を受けて、「此章猶諺言疑心生暗鬼也」と述べています。これは、この章はことわざでいう「疑心、暗鬼を生ず」と同じだ、という意味です。
続く注釈には、心に疑いがあると、相手が斧を盗んでいなくても、自分が疑いの心で見るために、一つ一つがみな疑わしくなる、という趣旨が述べられています。ここで、古い斧の話と「疑心暗鬼を生ず」という言葉がはっきり結びつきます。
「暗鬼」は、暗やみにいるはずのない鬼を思い浮かべることです。実際には存在しないものでも、恐れや疑いが心にあると、まるでそこにあるかのように感じてしまうというたとえになっています。
後には、「疑心暗鬼を生ず」から「疑心暗鬼」という四字の形も広く使われるようになりました。「疑心暗鬼」は、「疑心暗鬼を生ず」の略で、疑う心のために、何でもないことまで恐ろしく感じたり疑ったりする心理状態を表します。
日本語の用例では、内田魯庵『落紅』(1899年・明治時代)に「疑心暗鬼」の形が出ています。また、島崎藤村『破戒』(1906年・明治時代)にも、「疑心暗鬼」という言い方が使われています。
現在では、「疑心暗鬼を生ず」は、ただ恐ろしく感じる場合だけでなく、何を信じてよいか分からず、人の言動を疑い深く受け取ってしまう場合にも使われます。もとの故事をふまえると、この言葉は、疑いが事実を見る目をくもらせることへの戒めとして読むことができます。
「疑心暗鬼を生ず」の使い方




「疑心暗鬼を生ず」の例文
- 財布が見つからないだけで友人を疑うと、疑心暗鬼を生ずという状態になりかねない。
- 一度うわさを信じてしまうと、何気ない会話まで怪しく思え、疑心暗鬼を生ず。
- 連絡が遅れただけで相手の気持ちを疑い始めるのは、疑心暗鬼を生ず典型的な例だ。
- 証拠もなく社員同士が互いを疑えば、職場に疑心暗鬼を生ず。
- 暗い廊下で物音を聞き、何でもない影まで怖くなると、疑心暗鬼を生ずという言葉を思い出す。
- 大切な確認をせずに思い込みで判断すると、疑心暗鬼を生ず結果になりやすい。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・林希逸『沖虚至徳真経鬳齋口義』。
・『列子』。























