【故事成語】
一場の春夢
【読み方】
いちじょうのしゅんむ
【意味】
栄華や繁栄などが、春の夜の夢のように、きわめてはかなく消えてしまうことのたとえ。


【英語】
・All glory is fleeting(栄光は長く続かない)
【類義語】
・邯鄲の夢(かんたんのゆめ)
・黄粱の夢(こうりょうのゆめ)
・黄粱一炊(こうりょういっすい)
「一場の春夢」の故事
「一場の春夢」は、「一場春夢」という中国の古い表現をもとに、日本語では「の」を添えた形でも使われる故事成語です。「一場」は、ほんの短い間、その場限りという意味を含み、「春夢」は、春の夜に見る、すぐに覚めてしまう夢を表します。そこから、人生の栄華や繁栄が長く続かず、夢のように消えることをたとえる表現になりました。
この表現の古い詩の例として、唐の盧延讓が作った「哭李郢端公」があります。この詩は、亡くなった李郢を悼む詩で、最後に「詩侶酒徒消散盡,一場春夢越王城」とあります。詩をともにした友や酒を酌み交わした仲間が散り散りになり、越王城での楽しかった日々も一場の春夢のようになった、という嘆きを表しています。
この詩での「一場春夢」は、単に短い夢という意味ではありません。親しかった人々、にぎやかな交わり、楽しかった時間が、死や別れによって戻らないものになったという深い寂しさを含んでいます。そのため、現在の「一場の春夢」にも、華やかだったものをあとから振り返ると、夢のようにはかないという意味が残っています。
五代の詩を集めた『才調集』に収められた張泌の「寄人」にも、「倚柱尋思倍惆悵,一場春夢不分明」とあります。柱に寄りかかって思い返すほど、いよいよもの悲しくなり、かつての出来事は一場の春夢のようにはっきりしない、という内容です。ここでは、恋や別れの記憶が、春の夢のようにぼんやりとして、もう取り戻せないものとして表されています。
さらに、宋の趙令畤が撰した『侯鯖録』巻七にも、この表現にまつわる逸話があります。七十歳の老婦が蘇軾に向かって「內翰昔日富貴,一場春夢」と語ったと伝わります。これは、かつて高い地位にあり、富貴を得ていた日々も、振り返れば春の夢のようなものだ、という意味です。
この逸話では、富貴そのものをただ否定しているわけではありません。人がどれほど栄えても、時が過ぎれば、その栄えは形を失い、思い出の中にだけ残るという見方が示されています。詩の別れの嘆きから、富貴や名声のはかなさへと意味が広がり、「一場の春夢」は人生の無常を表す言葉として定着していきました。
後の時代の小説や詩文でも、「一場春夢」は、名利を追っても最後には夢のように過ぎること、また、過去のすべてが一瞬で空しくなることを表す言い方として使われました。現在の日本語の「一場の春夢」も、その流れを受け、華やかな成功、幸福な時期、権勢ある暮らしなどが、あとに何も残さず消えてしまうことを、しみじみと述べるときに用いられます。
「一場の春夢」の使い方




「一場の春夢」の例文
- 全国大会での優勝の熱気も、卒業後に振り返れば一場の春夢のようだった。
- 豪華な屋敷に住んでいた時代は、会社の倒産とともに一場の春夢となった。
- あれほど人気を集めた店の繁盛も、駅前の再開発で一場の春夢のように消えた。
- 若いころの名声を思い返すと、彼には一場の春夢という言葉が胸にしみた。
- 一夜で注目を浴びた動画の反響も、翌月には一場の春夢のように静まった。
- 戦後の混乱の中で失われた家の栄えを、祖母は一場の春夢だったと語った。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・教育部『成語典』2020年。
・盧延讓「哭李郢端公」『全唐詩』。
・韋縠編『才調集』。
・趙令畤撰、孔凡禮點校『侯鯖録』中華書局、2002年。























