【故事成語】
家に弊帚有り、之を千金に享る
【読み方】
いえにへいそうあり、これをせんきんにたっとぶ
【意味】
自分の物は、たとえ粗末で価値が低くても、特別に大切で価値あるものと思うこと。また、自分の物や作品をひいき目に見て、その欠点に気づかないことのたとえ。


「家に弊帚有り、之を千金に享る」の故事
「家に弊帚有り、之を千金に享る」は、家にある破れたほうきであっても、持ち主は千金の宝のように大切に思う、という言葉です。もとの漢文では「家有敝帚,享之千金」と記され、「敝帚」の「敝」は、破れる、ぼろぼろになるという意味をもっています。「弊帚」は、「敝帚」と同じ意味で用いられる表記です。
この表現のもととなった話は、『東観漢記(とうかんかんき)』「光武帝紀」に伝わっています。後漢(ごかん)の初代皇帝である光武帝(こうぶてい)、すなわち劉秀(りゅうしゅう)の時代、公孫述(こうそんじゅつ)は蜀の地に勢力を築き、成都に都を置いて、後漢と対立していました。
光武帝の軍が成都を攻め、公孫述が敗れて亡くなると、その軍勢は降伏しました。ところが、光武帝の将であった呉漢は、公孫述の妻子を殺し、兵士たちに略奪や放火を行わせました。降伏した町には、戦う力のない子どもや年老いた人々も数多く暮らしていたため、光武帝はこの行いを責めました。
そのとき、呉漢の副将であった劉禹も、町を焼き、人々を苦しめることを厳しくいさめます。その言葉の中に、「家有敝帚,享之千金」とあります。家にある破れたほうきでさえ、持ち主にとっては千金にもあたる大切な物であるのだから、まして、大勢の人々の命や暮らしを粗末に扱ってよいはずがない、という意味で用いられています。
この場面では、自分の物を大切に思う心が、人の命や故郷を思いやるたとえとして働いています。戦いに勝った側から見れば征服した町であっても、そこで生きる人々にとっては、家も家族もかけがえのないものです。「破れたほうきさえ惜しい」という身近な言い方によって、勝者が敗者の暮らしを踏みにじることを戒めています。
同じ言葉は、三国時代の魏の文帝である曹丕(そうひ、187~226年)の『典論(てんろん)』「論文」にも出てきます。『典論』は、曹丕が文学や文体について論じた書物で、「論文」の篇は、『文選(もんぜん)』に引用される形で伝わっています。
曹丕は、「文人相軽んずること、古より然り」と述べ、文章を書く人は、自分の得意なところばかりを見て、ほかの人の不得意なところを軽んじがちだと論じます。そして、「里語曰、『家有敝帚,享之千金。』斯不自見之患也」と続けます。これは、自分の家の破れたほうきを千金の宝のように思うのと同じく、人は自分の作品や長所を過大に評価し、自分の欠点を見失いやすい、という戒めです。
こうして、この表現には二つの方向が生まれました。一つは、どれほど粗末な物でも、自分にとって大切な物は惜しまずにはいられないという愛着を表す用い方です。もう一つは、自分の物や自分の力をひいき目に見て、冷静な評価ができなくなることを戒める用い方です。
原文の「敝帚」は、のちに「敝帚千金」「敝帚自珍」「弊帚千金」「弊帚自珍」などの形にも展開しました。「家に弊帚有り、之を千金に享る」は、もとの一節を日本語として読み表した形であり、自分の物を大切に思う心と、その思いが過ぎて判断を曇らせる危うさとを、古びた一本のほうきに託した言葉です。
「家に弊帚有り、之を千金に享る」の使い方




「家に弊帚有り、之を千金に享る」の例文
- 古びた筆箱をどうしても捨てられない祖父の姿に、家に弊帚有り、之を千金に享るという言葉が思い起こされた。
- 自作の作文をほめるばかりで直そうとしない態度は、家に弊帚有り、之を千金に享るの戒めに当たる。
- 家に弊帚有り、之を千金に享るというように、長年使った道具には、値段だけでは測れない愛着が宿る。
- 自社の商品を欠点のないものと思い込む社長に、社員は家に弊帚有り、之を千金に享るという言葉を心に浮かべた。
- 研究発表では、家に弊帚有り、之を千金に享るが、愛着とひいき目の両方を表しうる故事成語として紹介された。
- 父は、書きためた俳句を手放せない自分を笑いながら、家に弊帚有り、之を千金に享るとはこのことだと語った。
主な参考文献
・小学館『中日辞典 第3版』小学館。
・中華民国教育部『成語典 2020』。
・『東観漢記』「光武帝紀」。
・曹丕『典論』「論文」。























