【故事成語】
憤りを発して食を忘る
【読み方】
いきどおりをはっしてしょくをわする
【意味】
学問や仕事などに強く心を奮い立たせ、食事を忘れるほど熱中すること。


【英語】
・be so absorbed in one’s work that one forgets to eat(仕事に夢中になって食事も忘れる)
・be completely engrossed in one’s studies(学問にすっかり打ち込む)
【類義語】
・発憤忘食(はっぷんぼうしょく)
・寝食を忘れる(しんしょくをわすれる)
・一心不乱(いっしんふらん)
【対義語】
・三日坊主(みっかぼうず)
・一曝十寒(いちばくじっかん)
「憤りを発して食を忘る」の故事
「憤りを発して食を忘る」は、中国古典の『論語』(戦国時代から前漢ごろにかけて形を整えたとされる、孔子と弟子たちの言行録)に出てくる言葉です。もとの漢文は「發憤忘食」で、現在の日本語では「発憤忘食」と四字の形でも用いられます。
この言葉が出てくるのは、『論語』の「述而(じゅつじ)」という篇です。そこでは、葉公(しょうこう)という人物が、孔子の弟子である子路(しろ)に、孔子とはどのような人物かをたずねます。
ところが、子路はその問いに答えませんでした。孔子はそのことを聞いて、子路に向かい、「どうして、あの人はこういう人ですと言わなかったのか」と語ります。
そのあとに続くのが、「其の人と為りや、発憤して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ」という内容です。やさしく言えば、孔子は「私は、道を求めて心を奮い立たせると食事を忘れ、学ぶことを楽しむと心配ごとも忘れ、老いが近づいていることにも気づかないような人間だ」と、自分の姿を説明したのです。
ここで大切なのは、「憤り」が現代語の「怒り」と同じではないことです。この「憤」は、腹を立てるというよりも、まだ十分に分からないこと、まだ到達できないことに向かって、心を強くふるい立たせる働きを表しています。
つまり、この言葉の中心には、怒って我を忘れる姿ではなく、学問や道を求める気持ちが高まり、食事さえ忘れるほど励む姿があります。孔子自身の学び方、ものごとへの向かい方を表す言葉として読むと、意味がはっきりします。
「発憤忘食」という四字の形は、漢文の中の「發憤忘食」がまとまったものです。「発憤」は心を奮い立たせること、「忘食」は食べることを忘れることを表し、二つが結びついて、強い集中と努力を示す表現になりました。
また、『論語』のこの一節では、「食を忘れる」だけでなく、「楽しみて以て憂いを忘る」とも続きます。努力しているうちに苦しさだけでなく楽しさも生まれ、心配ごとを忘れるほど深く入り込むという流れが示されています。
そのため、この故事成語は、ただ忙しくて食事を抜いたという意味ではありません。自分から心を奮い立たせ、学びや仕事に深く向かい、食事の時間さえ意識しなくなるほど熱中する場合にふさわしい言葉です。
後の時代には、孔子の学問への姿勢を表す言葉として、「発憤忘食」の形が広まりました。日本語では、漢文訓読の形を受けて「憤りを発して食を忘る」と読み下し、また日常の文章では「食事を忘れるほど打ち込む」という意味で理解されるようになりました。
現在この故事成語を用いるときは、努力の厳しさだけでなく、学ぶことや作ることに心を奪われるほどの熱中を表します。もとの故事を知ると、ただの根性論ではなく、自分の心を励ましながら夢中で進む姿をたたえる言葉であることが分かります。
「憤りを発して食を忘る」の使い方




「憤りを発して食を忘る」の例文
- 兄はロボットコンテストの回路作りに熱中し、憤りを発して食を忘るほど机に向かった。
- 研究者は古い写本の一字を確かめるため、憤りを発して食を忘る思いで調査を続けた。
- 母は地域の防災計画を分かりやすくまとめようと、憤りを発して食を忘るほど資料を読み込んだ。
- ピアノの発表会を前に、姉は苦手な曲の指使いを直すため、憤りを発して食を忘るほど練習した。
- 職人は祭りの山車に付ける飾りを仕上げるため、憤りを発して食を忘る集中ぶりを見せた。
- 健太くんは自由研究の疑問を解き明かそうとして、憤りを発して食を忘るほど観察記録を書き続けた。























