【ことわざ】
戌亥の夕立と伯母御の牡丹餅は来ぬためし無し
【読み方】
いぬいのゆうだちとおばごのぼたもちはこぬためしなし
【意味】
北西の方角で降り始めた夕立が必ずこちらへ来るように、伯母が甥や姪をかわいがるのも当然だということ。必ず起こること、まず間違いなくそうなることのたとえ。


【英語】
・it never fails(必ずそうなる)
【類義語】
・伯母の牡丹餅と乾夕立の来ぬことはない(おばのぼたもちといぬいゆうだちのこぬことはない)
【対義語】
・隣のおはぎと遠くの夕立来そうで来ない(となりのおはぎととおくのゆうだちきそうでこない)
「戌亥の夕立と伯母御の牡丹餅は来ぬためし無し」の語源・由来
「戌亥」は、十二支で表した方角の名で、戌と亥の間、つまり北西を指します。「乾」とも書き、北西から吹く風をいう場合もあります。このことわざの前半は、北西の方角に夕立の気配が見えれば、やがてこちらにも来るという、空の様子から天気を読む経験にもとづいています。
「夕立」は、夏の午後に急に降る激しいにわか雨で、雷を伴うことも多いものです。科学的な天気予報が広まる前、人々は雲の形や風向き、空の明るさなどを観察し、過去の経験から天気を予測してきました。このように、空や大気の状態を観察して天候を読むことを、観天望気(かんてんぼうき)といいます。
日本付近では、上空の強い西風のため、高気圧や低気圧が西から東へ動き、天気も西から東へ移りやすいと説明できます。したがって、北西の空に黒雲が立ち、夕立の気配があると、やがて雨が来るという生活上の判断には、一定の経験的な理由があります。このことわざの「戌亥の夕立」は、そうした空模様を短く印象的に言い表した部分です。
後半の「伯母御」は、「おば」を敬って呼ぶ言葉です。「伯母御の牡丹餅」は、伯母が甥や姪をかわいがり、訪ねて来るときには牡丹餅を持ってくるものだ、という昔の家庭的な情景を表しています。牡丹餅は、もち米とうるち米を混ぜて炊き、軽くついて丸め、あずき餡やきなこなどをまぶした食べ物で、親戚や近しい人に分けるものとしても親しまれてきました。
このことわざは、「北西の夕立」と「伯母の牡丹餅」という、一見別々のものを取り合わせています。前者は天気の経験則を、後者は親族の情の厚さを表し、どちらも「来ないことがない」、つまり必ず来るものとして並べられています。自然の変化と人情を重ねることで、確実さを少しおかしく、親しみやすく表しているのです。
言い回しには、「伯母の牡丹餅と乾夕立の来ぬことはない」という近い形もあります。「乾」は戌亥と同じく北西を指すため、「戌亥の夕立」と「乾夕立」は、同じ方角の夕立を表します。表現の順序や語の形が少し異なっていても、伯母が土産を持って来ることと北西の夕立が来ることを並べ、確実に起こることをいう点は同じです。
現在では、実際の夕立や牡丹餅だけをいうのではありません。雲行きから雨が来ると分かるように、また、伯母が甥や姪をかわいがるのが当然だと受け止められたように、ある物事がほぼ確実に起こるときに使います。ただし、人の行動を決めつけすぎる響きもあるため、現代の会話では、やわらかく親しみをこめた場面で使うのがよい表現です。
「戌亥の夕立と伯母御の牡丹餅は来ぬためし無し」の使い方




「戌亥の夕立と伯母御の牡丹餅は来ぬためし無し」の例文
- 北西の空に黒雲が出てきたので、祖父は戌亥の夕立と伯母御の牡丹餅は来ぬためし無しと言って洗濯物を取り込んだ。
- 毎年、伯母は祭りの日に必ず菓子を持って来るので、戌亥の夕立と伯母御の牡丹餅は来ぬためし無しとはこのことだ。
- 雲の流れを見た漁師は、戌亥の夕立と伯母御の牡丹餅は来ぬためし無しと考えて早めに港へ戻った。
- 大会の前になるとあの先生は必ず応援に来るので、戌亥の夕立と伯母御の牡丹餅は来ぬためし無しだ。
- 山の北西に暗い雲がかかったため、母は戌亥の夕立と伯母御の牡丹餅は来ぬためし無しだと言って窓を閉めた。
- 彼が新しい本を買うと必ず友だちに見せに来るのは、戌亥の夕立と伯母御の牡丹餅は来ぬためし無しのようなものだ。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・平凡社編『改訂新版 世界大百科事典』平凡社。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・Merriam-Webster, Incorporated『Merriam-Webster Dictionary』。























