「伊勢へ七度、熊野へ三度」の意味
【ことわざ】
伊勢へ七度、熊野へ三度
このあと「愛宕様へは月参り」と続けてもいう。
【読み方】いせへななたび、くまのへみたび
「三度」は、「さんど」とも読む。
【意味】信仰心があついこと。また、信仰心に深すぎることはないということ。
「伊勢」は、三重県の伊勢神宮のこと。「熊野」は、和歌山県の熊野三社のこと。
「伊勢へ七度、熊野へ三度」ということわざは、信心がどれだけ深くても過ぎることはないという意味だよ。
おー、それはお寺や神社に何度も参拝することが大切ってことやん。
伊勢には7回、熊野には3回ってね。どれだけ深く信心しても、それ以上がし過ぎやないってことやねん。信心の熱意を持ってお参りに行くことが大切なんやってさ。
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「伊勢へ七度、熊野へ三度」の解説
カンタン!解説
「伊勢へ七度、熊野へ三度」ということわざは、信心や宗教的な信仰を深めることがいくらしても過ぎることはないという意味だよ。また、このことわざは信心を熱心にすることを指しているんだ。さらに、「愛宕様(山)へは月参り」と続けて言われることもあるよ。
このことわざは、特に日本の信仰や修行の文化に関連しているんだよ。伊勢と熊野は古くから信仰の対象とされてきた地域で、巡礼や参拝の場所として知られているんだ。ここでは、伊勢へは七度、熊野へは三度という回数が挙げられているよ。
このことわざは、信仰心や宗教的な行為を深めることによって、より一層の精神的な成長や啓示を得ることができるという意味だよ。一度だけでなく、何度も訪れて信心を深めることで、より深い理解や経験が得られるとされているんだ。
「伊勢へ七度、熊野へ三度」の使い方
またお参りしているの?さっきもお地蔵様にお参りしたじゃない。
伊勢へ七度、熊野へ三度よ。お参りにし過ぎるということはないのよ。
過ぎたるは猶及ばざるが如しじゃないの?
信仰にそれは当てはまらないの。
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「伊勢へ七度、熊野へ三度」の例文
- 伊勢へ七度、熊野へ三度というが、新興宗教への過度な信仰心は考え物だ。
- 神様の人間への愛は無限なので、伊勢へ七度、熊野へ三度と信仰心にも過ぎるということはない。
- 毎日神社に行っても伊勢へ七度、熊野へ三度、足りないことはあっても行き過ぎにはならない。
- 神に感謝することは、伊勢へ七度、熊野へ三度というようにいくらしてもいいものだ。
- 伊勢へ七度、熊野へ三度だから、またお伊勢参りに行きたい。
「伊勢へ七度、熊野へ三度」の文学作品などの用例
伊勢は七度よいところ、いざ御案内者で客を招けば、おらあ熊野へも三度目じゃと、いわれてお供に早がわり、いそがしかりける世渡りなり。(泉鏡花の伊勢之巻より)