「干天の慈雨」の意味(語源由来・類義語)
【ことわざ】
干天の慈雨
【読み方】
がんてんのじう
【意味】
待ち望んでいたものが実現すること。困っている時に差し伸べられる救いの手。
長い間乾いた心が、そんな救いの雨で潤う感じ。困ってる時に、まさかの救いがやってくる、そんなありがたい瞬間を表してるんやね。
【語源・由来】
日照りの時に降る恵みの雨の意から。
【類義語】
・大早の雲霓を望むが若し
・旱魃に水
・乾き田に水
「干天の慈雨」の解説
「干天の慈雨」っていうのは、本当に乾いて水が欲しい時に降ってくるありがたい雨のことを指すんだよ。
考えてみてね、農場で作物を育てている人たちが、雨が全く降らずに困っている時、突然雨が降ってきたら、それはものすごく助かるよね? それが「慈雨」だよ。この「慈雨」は、まるで大地を助けてあげたいと思う天からの優しさのような雨なんだ。
この言葉は、雨のことだけでなく、他の状況でも使われることがあるよ。例えば、誰かが困っているときや、助けを必要としているときに、ちょうどいいタイミングで助けてくれる人や、待ち望んでいたことが突然実現するような時にも使われるんだ。
つまり、困ったときや必要なときにちょうどいいタイミングで現れる助けや恵みのことを「干天の慈雨」として形容するんだよ。
「干天の慈雨」の使い方
「干天の慈雨」の例文
- 困窮している時にともこちゃんが差し伸べてくれた手は干天の慈雨だった。
- 干天の慈雨だと思い飛びついたら詐欺だった。
- 壁にぶつかったときに、先生が声をかけてくれたおかげで立ち直ることができた。あれは干天の慈雨だった。
- 何気ない思いやりが誰かにとっては干天の慈雨になったりする。
- 彼女の励ましが干天の慈雨となって、僕は死を選ばず今生きている。
「干天の慈雨」の文学作品などの用例
「うふふん。お前の知らせを待つまでもなく燻製をもってきたことは、ちゃんと知っておるわい。それよりも、早く卓子のうえに皿やフォークを出して、すぐ喰べられるようにしてくれ。ぐずぐずしていると、おれは気が変になりそうじゃからのう」 博士が燻製にあこがれること、実に、旱天が慈雨を待つの想いであった。(海野十三の時限爆奇譚弾奇譚より)
それと同様に、困難な状況で待ち望んでいた援助や良い変化が訪れることを示す言葉なんだ。