【ことわざ】
勘当に科なく赦免に忠なし
【読み方】
かんどうにとがなくしゃめんにちゅうなし
【意味】
筋道の通らない賞罰であること。罪がないのに罰せられ、手柄や忠義がないのに許されるような、不合理な扱いをいう。


【英語】
・arbitrary rewards and punishments.(理由や基準のはっきりしない賞罰)
【類義語】
・理不尽(りふじん)
・依怙贔屓(えこひいき)
・片手落ち(かたておち)
【対義語】
・信賞必罰(しんしょうひつばつ)
・公平無私(こうへいむし)
「勘当に科なく赦免に忠なし」の語源・由来
「勘当に科なく赦免に忠なし」は、室町時代の戦乱を背景にもつことわざです。もとの形に近い用例は、『応仁記(おうにんき)』に出てきます。
『応仁記』は、応仁の乱の原因や洛中の合戦を記した室町時代後期の戦記物です。作者は不明で、1473年ごろに作られたとする説と、原形がそのころにでき、16世紀中ごろに完成したとする説があります。
このことわざを理解するには、まず「勘当」「科」「赦免」「忠」の四つに分けて見ると分かりやすくなります。「勘当」は、もとは罪を調べて刑に当てること、また譴責することを表し、のちには親子・主従・師弟などの関係を断つ意味にも広がりました。
「科」は「とが」と読み、罪、あやまち、責められるべき行いを表します。「赦免」は、罪を許し、刑罰や責任を免除することです。
「忠」は、まごころをこめて務めを果たすこと、また君主や国家にまごころを尽くすことを指します。したがって、このことわざは、罪もないのに罰せられ、忠義もないのに許されるという、賞罰の筋道のなさを表しています。
『応仁記』では、足利義政の政治が乱れ、畠山氏や斯波氏の家督争いが複雑になっていく様子が語られます。とくに、畠山義就と畠山政長をめぐる扱いは、応仁の乱へ向かう大きな火種になりました。
文正元年、1466年には、山名宗全の働きかけによって畠山義就の赦免が実現し、義就は河内から京都へ上りました。翌応仁元年、1467年には、義就が畠山氏の家督と守護職を認められ、政長は追い落とされました。
このような入れ替わりの中で、『応仁記』には「何ノ不義ナク又何ノ忠モナシ。之ニ依テ京童ノ諺ニ、『勘道ニ科ナク赦免ニ忠ナシ』ト笑ケル」という趣旨の記述が出てきます。罪といえるほどの不義もなく、許されるほどの忠義もないのに、勘当と赦免がくり返されたという批判です。
古い本文では「勘道ニ科ナク」と書かれる形もあります。現代では「勘当に科なく赦免に忠なし」という形で示され、意味を取りやすいように「勘当」の表記で受け継がれています。
この言い方の大切な点は、単に「罰せられた」「許された」という事実ではありません。罰するにも許すにも、理由や基準が見えず、政治や組織の判断が人々から信用されなくなることを指しています。
そのため、現在では、学校、会社、役所、団体などで、評価や処分が公平に行われていないような場合にも使われます。正しい賞罰には、事実に基づく判断と、だれにも分かる筋道が必要だという教えを含むことわざです。
「勘当に科なく赦免に忠なし」の使い方




「勘当に科なく赦免に忠なし」の例文
- 理由も示さず一人だけ厳しく注意するのは、勘当に科なく赦免に忠なしの扱いだ。
- 成績に関係なく好きな部員だけを代表に選ぶなら、勘当に科なく赦免に忠なしと言われても仕方がない。
- 会社の処分が人によって大きく違い、社員の間で勘当に科なく赦免に忠なしとの不満が広がった。
- 失敗の原因を調べずに罰だけを決める姿勢は、勘当に科なく赦免に忠なしに近い。
- 功績のない人がほめられ、努力した人が退けられたため、会議では勘当に科なく赦免に忠なしだという声が出た。
- 公平な基準を示さなければ、どんな表彰も勘当に科なく赦免に忠なしと受け取られるおそれがある。
主な参考文献
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修『デジタル大辞泉』小学館。
・日本漢字能力検定協会編『漢検 漢字辞典 第二版』日本漢字能力検定協会、2014年。
・『応仁記』。
・Merriam-Webster, Merriam-Webster.com Dictionary.
・Cambridge University Press『Cambridge Dictionary.』























