【故事成語】
君辱めらるれば臣死す
【読み方】
きみはずかしめらるればしんしす
【意味】
主君が人から恥辱を受けたとき、臣下は命を投げ出してでも、その恥をすすがなければならないということ。臣下は主君と生死や苦楽をともにすべきだという、古い忠義の考えを表す。


「君辱めらるれば臣死す」の故事
「君辱めらるれば臣死す」は、中国の歴史書『国語(こくご)』「越語下(えつごげ)」に出てくる「君憂臣労、君辱臣死」という言葉にもとづく故事成語です。原文には、「臣聞之、為人臣者、君憂臣労、君辱臣死」とあります。
『国語』は、中国の西周から春秋時代にかけての出来事や言葉を、周・魯・斉・晋・鄭・楚・呉・越の国ごとに記した二十一巻の歴史書です。左丘明の著作と伝えられてきましたが、現在では、戦国時代中期から後期にかけて、儒家の一派がまとめた書物と考えられています。
この言葉を述べたのは、中国の春秋時代末期に、越(えつ)の王である勾践(こうせん)に仕えた范蠡(はんれい)です。范蠡は、越の政治や軍事を支えた重臣で、呉(ご)との争いに深く関わりました。
紀元前494年、越は呉王夫差(ふさ)との戦いに敗れ、勾践は会稽(かいけい)で大きな恥辱を受けました。范蠡は、勾践を助けながら国力を立て直し、雪辱の機会を待ち続けました。
勾践と范蠡は、長い年月をかけて越を強くしました。范蠡は勾践と二十年以上にわたって計画を練り、紀元前473年、ついに呉を滅ぼして会稽の恥をすすぎました。
その大事業を成し遂げたあと、范蠡は勾践に別れを告げました。『国語』には、范蠡が「君主が心配すれば臣下は苦労し、君主が辱められれば臣下は死ぬものだ」と語ったことが記されています。
「君憂臣労」は、君主に心配事があれば、臣下が力を尽くすという意味です。それに続く「君辱臣死」は、君主が恥辱を受けたならば、臣下は命をささげてでも、その恥をすすぐべきだという意味になります。
范蠡は、勾践が会稽で辱めを受けたとき、本来なら臣下として死ぬべきであったと述べました。しかし、呉を倒して主君の恥をすすぐという仕事が残っていたため、その日まで生きてきたのだと説明しました。
そして、いまや呉を滅ぼして目的を果たしたので、会稽の敗戦の責任を取らせてほしいと申し出ました。勾践は范蠡に国を分け与えようとしましたが、范蠡は従わず、軽い舟に乗って越を去り、二度と戻りませんでした。
この一節は、前漢の司馬遷が著した『史記(しき)』(前漢、紀元前91年ごろ成立、司馬遷著)の「越王勾践世家」にも伝わっています。そこでも、范蠡は「臣聞主憂臣労、主辱臣死」と述べ、会稽の恥をすすいだのち、勾践のもとを離れています。
原文の「君辱臣死」は、日本語では「君辱めらるれば臣死す」と読み下されました。「辱めらるれば」は「恥辱を受けたならば」、「死す」は「死ぬ」という意味で、漢文の簡潔な四字が、一つの教えを表す形になっています。
日本語の古い用例には、曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』(1814〜1842年・江戸時代後期、曲亭馬琴著)にある「君辱られ給ふ時は、臣死すといふ聖賢の教」があります。ここでは、主君への忠義を守るべきだという教えとして用いられています。
田中貢太郎の『八人みさきの話』(昭和9年、田中貢太郎著)にも、「凡そ君辱めらるれば臣死す、禄を食む者が、主を殺させて安閑と生きながらえることができると思われるか」と出てきます。主君を失った家臣が、自分だけ安全に生き残ることを拒む場面で使われています。
このように、「君辱めらるれば臣死す」は、范蠡が主君の恥をすすぐまで生きて責任を果たし、その後は命をささげる覚悟を示した言葉から生まれました。主君と臣下が運命をともにするという、古代の強く厳しい忠義の考えを伝える表現です。
「君辱めらるれば臣死す」の使い方




「君辱めらるれば臣死す」の例文
- 范蠡は君辱めらるれば臣死すの覚悟で、勾践とともに会稽の恥をすすいだ。
- 歴史劇の家臣は、君辱めらるれば臣死すと言い残して主君の敵に立ち向かった。
- 君辱めらるれば臣死すは、古代の君臣関係における厳しい忠義を表す言葉である。
- 武士の忠節を描いた物語では、君辱めらるれば臣死すに通じる行動が語られることがある。
- 授業では、君辱めらるれば臣死すが范蠡の言葉にもとづく故事成語だと学んだ。
- 君辱めらるれば臣死すという表現から、昔の臣下が主君の名誉をどれほど重んじたかが分かる。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・大野峻著『新釈漢文大系67 国語 下』明治書院、1978年。
・吉田賢抗著『新釈漢文大系86 史記 六(世家 中)』明治書院、1979年。
・司馬遷『史記』紀元前91年ごろ。
・曲亭馬琴『南総里見八犬伝』1814〜1842年。
・田中貢太郎『八人みさきの話』1934年。























