【故事成語】
驥足を展ぶ
【読み方】
きそくをのぶ
【意味】
すぐれた才能をもつ人が、その力を十分に伸ばし、発揮すること。


【英語】
・fulfill one’s potential.(持っている才能や可能性を十分に発揮する)
【類義語】
・蛟竜雲雨を得(こうりょううんうをう)
・所を得る(ところをえる)
【対義語】
・宝の持ち腐れ(たからのもちぐされ)
「驥足を展ぶ」の故事
「驥足を展ぶ」の「驥」は、一日に千里を走るといわれる名馬を表します。そこから、すぐれた才能をもつ人のたとえにもなりました。
「驥足」は、もとは名馬のすぐれた脚力を指す言葉です。転じて、すぐれた才能や、その才能をもつ人物を表すようになりました。
「展ぶ」は、力をのびのびと広げて出すことにつながる言葉です。「驥足を展ぶ」は、名馬が広い場所でその脚を十分に伸ばすように、才能ある人が力を存分に発揮することを表します。
この表現のもとになった重要な文献は、陳寿の『三国志』(西晋、3世紀後半、陳寿撰)です。『三国志』は、後漢(ごかん)末の争乱から魏・蜀・呉の三国鼎立、さらに晋による統一までを記した史書で、魏志三十巻・蜀志十五巻・呉志二十巻から成ります。
『三国志』「蜀書七・龐統法正伝」には、龐統(ほうとう)という人物が出てきます。龐統は字を士元(しげん)といい、襄陽(じょうよう)の人で、諸葛亮(しょかつりょう)が「臥龍」と呼ばれたのに対し、龐統は「鳳雛(ほうすう)」と評されました。
劉備(りゅうび)が荊州(けいしゅう)を治めるようになると、龐統は耒陽の県令になります。けれども、その地では十分に力を発揮できず、官を免じられます。
そのとき、呉の武将であった魯粛(ろしゅく)が劉備に手紙を送ります。魯粛は、龐統は小さな土地だけを治めるような人物ではなく、治中や別駕のような大きな役目に置いてこそ「始當展其驥足耳」、つまり、はじめてそのすぐれた力を十分に伸ばすことができる、と述べました。
諸葛亮もまた、龐統の才能を劉備に伝えます。劉備は龐統と会ってよく話し、その器の大きさを認め、治中従事に任じました。
その後、龐統は諸葛亮に次ぐほど重く用いられ、二人はともに軍師中郎将となります。ここに、すぐれた人物が小さな役目から離れ、才能にふさわしい場で力を発揮するという、この故事成語の意味がよく表れています。
この話は、後の歴史小説『三国志演義』(14世紀末から15世紀初ごろ、中国、羅貫中作)にも取り入れられました。『三国志演義』第五十七回でも、魯粛の手紙に「始當展其驥足」とあり、龐統の才能が小さな役目では収まりきらないものとして描かれています。
日本でも、「驥足」は早くからすぐれた才能のたとえとして用いられました。『懐風藻』(751年、奈良時代)には「驥足」を用いた句があり、また室町時代中期の『文明本節用集』には「驥足を展ばす」の形が出ています。
「驥足を展ぶ」は、才能があるというだけでなく、その才能にふさわしい場を得て、ようやく十分に力を出すという意味をもつ表現です。名馬が広い道で走ってこそ真価を示すように、人の能力も、正しく見いだされ、ふさわしく用いられてこそ大きく花開く、という考えを伝えています。
「驥足を展ぶ」の使い方




「驥足を展ぶ」の例文
- 新しい研究チームで、若い技術者は驥足を展ぶ機会を得た。
- 監督は彼の視野の広さを見抜き、より大きな舞台で驥足を展ぶよう後押しした。
- 小さな仕事に埋もれていた彼女は、企画を任されて驥足を展ぶことになった。
- よい師と出会い、少年は音楽の分野で驥足を展ぶ道を開いた。
- 能力にふさわしい役目を与えれば、人は驥足を展ぶことがある。
- 海外の大会は、その選手が驥足を展ぶ絶好の場となった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館国語辞典編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・白川静『字通 普及版』平凡社、2014年。
・現代言語研究会編『日本語を使いさばく 故事ことわざの辞典』あすとろ出版、2007年。
・陳寿『三国志』西晋。
・羅貫中『三国志演義』14世紀末〜15世紀初ごろ。























