【慣用句】
久闊を叙する
【読み方】
きゅうかつをじょする
【意味】
長く会わなかった人と再会し、無沙汰をわびる挨拶や積もる話を交わして、旧交を温めること。


【英語】
・renew an old friendship.(途絶えていた古い友情を再び温める)
【類義語】
・旧交を温める(きゅうこうをあたためる)
「久闊を叙する」の語源・由来
「久闊を叙する」は、「久闊」と「叙する」から成る言い回しです。「久闊」は、長い間会わないことや、便りをしないことを表し、そこから「無沙汰」という意味で用いられます。
「闊」という漢字には、「広い」という意味のほか、「うとい」「隔たりがある」という意味があります。「久」と結び付いた「久闊」は、人と人との間が長く隔たっている状態を表します。
「叙する」は、物事や思いを言葉にして述べ表すことです。この表現では、官位などを授ける意味ではなく、久しく離れていた間の思いや事情を、互いに述べるという意味で使われています。
したがって、もとの形は、長く会わなかったことへの思いを述べ合うことを表します。そこから、再会の挨拶を交わすこと、無沙汰をわびること、離れていた間の出来事を語り合うことが、一つの言い回しにまとまりました。
日本における古い用例は、義堂周信の日記『空華日用工夫略集(くうげにちようくふうりゃくしゅう)』(南北朝時代、義堂周信著)の、永和二年、すなわち1376年五月二十二日の条にあります。義堂周信は五山の禅僧で、この日記には、その生涯にわたる出来事の要点が記されています。
その日の記録には、「余就于東光、與大清相看、略叙久濶之情而已」とあります。義堂が東光を訪れて大清と会い、久しく離れていた間の思いを少し語った、という内容です。
この古い用例では、現在の「久闊を叙する」に当たる部分が、「久濶之情を叙す」という形で書かれています。「久濶之情」は、長い無沙汰の間に積もった思いを指し、それを「叙す」、すなわち言葉にして述べたのです。
古い文献では、「闊」の異体字である「濶」が用いられることがあります。そのため、「久闊」と「久濶」は字形こそ異なりますが、この言い回しでは同じ意味を表します。
明治時代には、内田魯庵の『破垣』(1901年)に、「久し振で偶然面会したので暫時久濶を叙してゐた」という用例があります。ここでは、偶然再会した者どうしが、しばらく言葉を交わす場面に使われており、現在の意味にほぼ重なります。
中島敦の『山月記』(昭和17年)にも、「袁傪は恐怖を忘れ、馬から下りて叢に近づき、懐かしげに久闊を叙した」とあります。虎の姿になった旧友の李徴と再会した袁傪が、懐かしさを込めて挨拶を交わす場面です。
『山月記』の用例では、単に「久しぶり」と声を掛けるだけではなく、長い別離ののちに、旧友と心を通わせる意味が表れています。このように、「久闊を叙する」には、再会の挨拶とともに、離れていた時間を埋め、昔の親しさをよみがえらせる意味が含まれています。
「叙す」は「叙する」の文語形であるため、「久闊を叙す」とも言います。どちらの形も、久しぶりに会った人と無沙汰の挨拶を交わし、旧交を温めることを表します。
「久闊を叙する」の使い方




「久闊を叙する」の例文
- 十年ぶりに故郷へ戻り、幼なじみと久闊を叙する。
- 同窓会では、恩師や旧友が集まって久闊を叙する姿があちらこちらにあった。
- 海外勤務を終えた彼は、駅まで迎えに来た親友と久闊を叙する時間を楽しんだ。
- 二人の研究者は学会で偶然再会し、しばらく久闊を叙することになった。
- 祖父は戦友と久闊を叙するため、数十年ぶりにかつて暮らした町を訪ねた。
- 式典が始まるまで、出席者たちは昔話をしながら久闊を叙することにした。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・集英社辞典編集部編『ルーツでなるほど慣用句辞典』集英社、1991年。
・『Collins English Dictionary 第14版』HarperCollins Publishers,2023.
・義堂周信著、辻善之助編『空華日用工夫略集』太洋社、1939年。
・内田魯庵『破垣』1901年。
・中島敦『山月記』1942年。























