【故事成語】
同じ穴の狢
【読み方】
おなじあなのむじな
【意味】
一見すると関係がないようでも、実は同類・仲間であることのたとえ。多くは、同じような悪事や好ましくない行いをする者についていう。


【英語】
・birds of a feather(似た性質や背景をもつ同類の者たち)
【類義語】
・一つ穴の狢(ひとつあなのむじな)
・同じ穴の狐(おなじあなのきつね)
「同じ穴の狢」の故事
「同じ穴の狢」につながる表現は、中国の歴史書『漢書(かんじょ)』(後漢・1世紀、班固撰、班昭ら補)に出てくる「一丘之貉」にさかのぼります。『漢書』は前漢の歴史を記した書物で、この表現は、楊惲(よううん)にまつわる記録の中にあります。
前漢の時代、匈奴(きょうど)から降伏した者が、匈奴の君主である単于(ぜんう)が殺されたと伝えました。それを聞いた楊惲は、よい計略を出す家臣の言葉を用いない君主は、自ら滅亡を招くと述べ、かつて忠臣を殺して滅亡した秦王朝と重ね合わせました。
楊惲は、そのとき、「古與今如一丘之貉」と言いました。昔の秦の君主も、今の匈奴の君主も、一つの丘にいる貉のようなものであり、時代は違っても同じように劣った君主だという意味です。この発言は、後に楊惲が当時の政治をそしった証拠として、告発文に取り上げられました。
中国の「一丘之貉」は、もともと「同じ丘にいる貉」を表します。それぞれ別の存在に見えても、同じ場所に属し、性質にも大きな違いがないというたとえです。『漢書』の故事では、特に、昔と今の好ましくない君主を同類として批判する言葉になっています。
日本では、「同じ丘」ではなく、「同じ穴」という身近な情景に置き換えた言い方が、古くから使われました。『応永二十七年本論語抄(おうえいにじゅうしちねんぼんろんごしょう)』(1420年・室町時代前期)には、「桀溺も同じ穴の狐なれば」という用例があり、現在の「同じ穴の狢」につながる古い形が、すでに出てきます。
この箇所は、『論語』の中で、長沮と桀溺という二人の隠者が並んで田を耕し、孔子の弟子である子路に、世の中から離れて暮らすよう勧める場面への説明です。「同じ穴の狐」は、長沮と桀溺がよく似た考えをもつ同類だという意味で使われており、この段階では、必ずしも悪事を働く仲間だけを指してはいません。
「狢」は、もともとアナグマの異名で、地域によってはタヌキを指すこともありました。アナグマは地中に長い穴を掘って暮らし、一つの穴を数頭から十数頭で共有することがあります。そのため、「同じ穴に暮らす者」という情景は、外からは別々に見える者が、実は同じ仲間であることを表すのに適していました。
江戸時代後期になると、「狢」だけでも「同類の悪党」を指すようになります。『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』第二十七篇(1798年)には、「むしなめらなぞと女房は寄せ付ず」とあり、「狢ども」という言い方が、好ましくない同類の者たちを表しています。「同じ仲間」という広い意味から、「同じように悪い者たち」という否定的な意味が強まっていたことが分かります。
古くは「同じ穴の狐」という形が多く、近代以降は「同じ穴の狢」の用例が増えました。太宰治の『新ハムレット』(昭和16年)や高見順の『いやな感じ』(昭和35〜38年)にも、現在と同じ形が使われ、見かけや立場は違っても、結局は同じような悪事や欠点をもつ者同士だという意味が定着しました。
このように、「同じ穴の狢」は、中国の「一つの丘にいる貉」という故事を背景にもちながら、日本では「同じ穴に住む狐・狸・狢」という形に変わって広まりました。現在は、単に気の合う仲間を表すのではなく、互いに違うふりをしていても、悪い点や好ましくない行いにおいて同類であることを、批判や皮肉を込めて表します。
「同じ穴の狢」の使い方




「同じ穴の狢」の例文
- 他人の不正を激しく責めていた彼も同じ手口を使っており、結局は同じ穴の狢だった。
- 二人は対立しているように振る舞っていたが、裏では利益を分け合う同じ穴の狢だった。
- 弟のいたずらを父に告げた兄も手伝っていたため、同じ穴の狢として二人そろって叱られた。
- 相手の会社だけを非難しても、自社が同じ不正をしていれば同じ穴の狢にすぎない。
- 表向きは別の団体だったが、同じ人物から資金を受け取る同じ穴の狢であることが明らかになった。
- 友人の失敗を笑っていた彼も同じ間違いを繰り返し、同じ穴の狢だと指摘された。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・班固撰、班昭ら補『漢書』後漢、1世紀。
・中田祝夫編『応永二十七年本論語抄―東山文庫蔵称光天皇宸翰』勉誠社、1976年。
・『誹風柳多留』第二十七篇、1798年。
・太宰治『新ハムレット』1941年。
・高見順『いやな感じ』1960〜1963年。























