【慣用句】
関の山
【読み方】
せきのやま
【意味】
これ以上は出来ないという、ぎりぎりの境目。また、例えうまくやれても、やっとそれくらいである様子。
【語源・由来】
「関の山」とは三重県関町(現亀山市)の八神神社の祭礼に使われる山(山車)のこと。この山が「これ以上贅沢はできない」と言われるほど立派なものであったことから、「これ以上は出来ない(だろう)」「それが精一杯(だろう)」と限界をいう言葉として使われるようになった。「関の山」は諦めや嫌味を含む言葉であり、限界までやったことへの労いや誉め言葉としては使わない。
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「関の山」の使い方
健太くん。今回のテストの出来はどうだった?
かなり頑張ったつもりだったんだけど、徹夜で勉強しても五十点とるのが関の山だったよ。
健太くんは、テストの直前にだけ頑張るから、そこより上に行けないのよ。徹夜で半分取れるなら、毎日頑張れば満点も不可能ではないわ。
確かに。普段はさぼっている・・・。
「関の山」の例文
- お互い忙しくて、ゆっくり話をする暇もなくて、ときおり近所の喫茶店でいっしょにコーヒーを飲むのが関の山だった。
- 個人的な好悪の感情を職場に入り込ませるようでは、決してプロとは言えないし、そんなことをしていれば上司の信頼を失ってしまうのが関の山だ。
- 僕がどれだけ真剣にみんなに訴えても、また、健太の悪ふざけが始まったと言われるのが関の山だろう。
- この土地へ来てから、家の近くの公園まで散歩するのが関の山でその先はまだ行ったことがない。
- 家族は黙っているが、きっと僕の命はあと一年が関の山だろう。