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「秋の日と娘の子はくれぬようでくれる」の意味(語源由来・対義語)
【ことわざ】
秋の日と娘の子はくれぬようでくれる
【読み方】
あきのひとむすめのこはくれぬようでくれる
【意味】
秋の日は暮れないようでいて急に暮れる。同様に、娘もなかなか嫁にくれないようでも、意外と簡単にくれるということ。
なかなか進まへんかと思ってたら、あっという間に結婚が決まることもあるってことやな。まさに「思いがけぬ展開やな!」って感じやな。人生ってやつは、予測不能なことがたくさんあるんやな。
【語源・由来】
「暮れる」に「呉れる」をかけた語。
【対義語】
・春の日と継母はくれそうでくれない
「秋の日と娘の子はくれぬようでくれる」の解説
「秋の日と娘の子はくれぬようでくれる」は、秋の日が急に暮れるように、娘もなかなか嫁に出ていかないように見えても、実は意外と簡単に嫁ぎ出すことを表すことわざだよ。
このことわざでは、「暮れる」という言葉を「呉れる」という語呂合わせにかけているんだ。日が急に暮れるように、娘もいつの間にか嫁ぎ出すことを意味しているんだ。
秋の日は、夕方になると急に日が暮れることがあるよね。同様に、娘もなかなか嫁に出ていく様子が見られないことがあるけど、ある時を境に急に嫁ぎ出すことがあるという教えを含んでいるんだ。
娘が嫁ぐことは、家族の変化や結婚の縁組みなど、多くの要素が関わるため、なかなか決まらないこともあるんだ。でも、いつの間にか適切な縁が訪れ、娘も自然と嫁ぐことがあるんだ。
このことわざは、娘の結婚に関して、焦らずに自然の流れを待つことや、時期を見極めることの大切さを教えてくれるんだ。また、物事は予想外の展開を見せることもあることを示しているよ。
要するに、「秋の日と娘の子はくれぬようでくれる」ということわざは、秋の日が急に暮れるように、娘も予想外のタイミングで嫁ぐことをいうんだ。
「秋の日と娘の子はくれぬようでくれる」の使い方
「秋の日と娘の子はくれぬようでくれる」の例文
- 結婚を反対されると覚悟していたが、秋の日と娘の子はくれぬようでくれるというように大丈夫だった。
- 秋の日と娘の子はくれぬようでくれるという。深窓の令嬢でも、お互いの気持ちがあれば結婚させてくれるかもしれない。
- 秋の日と娘の子はくれぬようでくれるというが、あっさり結婚が認められて拍子抜けだ。
- 秋の日と娘の子はくれぬようでくれるといわれるが、彼らの結婚は何の障害もなくスムーズに運んだ。
- 秋の日と娘の子はくれぬようでくれるという。肩肘張らずに、結婚の挨拶に行けばいい。