【ことわざ】
赤子を裸にしたよう
【読み方】
あかごをはだかにしたよう
【意味】
ひよわで抵抗力がなく、頼るところもない者のたとえ。


「赤子を裸にしたよう」の語源・由来
「赤子」は、生まれて間もない子、すなわち赤ん坊のことです。「裸」は、身に衣類などをまとわず、全身がむき出しになっている状態を指します。「赤子を裸にしたよう」は、自分で身を守る力の乏しい赤ん坊が、さらに身を覆うものまで失った姿をたとえとした言い方です。
「あかご」という言葉の古い用例は、『狭衣物語(さごろもものがたり)』(1069〜1077年ごろ成立・平安時代後期、禖子内親王宣旨作とされる)にあります。その承応版には、「君は、ただ、赤児(あかご)のむつきに包まれたる心地して」とあり、「赤児」という表記で、衣に包まれた幼い子の姿が表されています。
この古い用例での「あかご」は、まだ自分一人では十分に行動できず、大人の世話を必要とする幼い存在です。このことわざでは、その弱く頼りない姿が、抵抗する力を欠いた者のたとえとして生かされています。
一方、「裸」の古い用例の一つは、『宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)』(1213〜1221年ごろ成立・鎌倉時代初期、編者不詳)にあります。同書には、「さうなく湯殿へゆきて、はたかになりて」とあり、衣服を脱いだ、文字どおりの裸の状態を表しています。
「裸」は、やがて衣服のない姿だけでなく、おおいや飾りのないむき出しの状態、さらには財産や持ち物がなくなった状態をも表すようになりました。井原西鶴の『本朝二十不孝(ほんちょうにじゅうふこう)』(1686年・江戸時代前期)には、「裸になりぬ」という形で、元手を失い、何も持たない状態になったことを表す用例があります。
この意味の広がりを踏まえると、「赤子を裸にしたよう」の「裸」は、単に衣服を着ていないというだけではありません。もともと弱い者が、身を守るものや頼みにできるものまで欠き、いっそう心細く無力になったありさまを、目に浮かぶ姿によって伝えています。
「赤子」を用いる近い言い方に、「赤子の腕を捻る」があります。『鶴千歳曾我門松(つるのちとせ そがのかどまつ)』(1865年・江戸時代末期、二代河竹新七ほか作)には、「赤子の腕を捻ぢるも同然」とあり、こちらは力のない相手を容易に打ち負かすこと、または物事をたやすく行うことを表します。
それに対して、「赤子を裸にしたよう」が表すのは、強い者が簡単に勝つことではなく、弱い者が守りも支えもなく、頼りない状態にあることです。人の力の弱さに加えて、助けとなるものまで欠けているところに、このことわざの意味の芯があります。
「赤子を裸にしたよう」の使い方




「赤子を裸にしたよう」の例文
- 頼みにしていた仕入れ先まで失った小さな店は、赤子を裸にしたような状態になった。
- 大会直前に主力選手と交代要員を欠いたチームは、赤子を裸にしたようだった。
- 相談相手も連絡手段もない旅先で、彼は赤子を裸にしたように心細かった。
- 仲間も道具もないまま難しい仕事を任された新人は、赤子を裸にしたような立場になった。
- 後ろ盾を失い、資金まで尽きた会社は、赤子を裸にしたようで打つ手がなかった。
- 家族の助けを受けられず、支援の当てもない生活は、赤子を裸にしたような苦しさを伴った。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。























