【ことわざ】
悪言の玉は磨き難し
【読み方】
あくげんのたまはみがきがたし
【意味】
人を傷つける悪い言葉は、いったん口に出すと、あとから取りつくろっても消しにくいことのたとえ。失言や悪口は、自分の信用まで損ないやすいという戒め。


【英語】
・A word spoken is past recalling.(口に出した言葉は取り消しがきかない)
【類義語】
・口は禍の門(くちはわざわいのかど)
・舌は禍の根(したはわざわいのね)
・物言えば唇寒し秋の風(ものいえばくちびるさむしあきのかぜ)
【対義語】
・思事言わねば腹ふくる(おもうこといわねばはらふくる)
・物は言いよう(ものはいいよう)
「悪言の玉は磨き難し」の語源・由来
このことわざは、こわれた玉と、口から出てしまった悪い言葉とを比べて、言葉のほうがなおしにくいことを教える言い方です。日本では、この形が『童子教(どうじきょう)』の中に見えます。
『童子教』は、中世から近世にかけて広く読まれた子どものための教訓書で、作者ははっきりしません。今に伝わる古い書写本としては、1377年(永和3年・南北朝時代)のものが知られています。
この書物は、礼儀や学びだけでなく、口のきき方や人との付き合い方まで教える内容を持っていました。江戸時代には寺子屋でも盛んに用いられ、ふつうの暮らしの教えとして広まっていきます。
『童子教』の中でこの句は、口は災いの入り口であり、舌は災いのもとであり、言いすぎたことは取り返しにくい、という流れの中に置かれています。つまり、ただ悪口を禁じるだけでなく、言葉そのものの重さを教える文脈で現れているのです。
ただし、この考え方そのものは、日本で突然生まれたものではありません。さらに古くさかのぼると、中国最古級の詩集である『詩経(しきょう)』の大雅「抑(よく)」に、白い玉のきずは磨けばよいが、言葉のきずはおさめられない、という有名な一節があります。
ここでいう白圭は、白く清らかな貴い玉のことです。玉の表面のきずなら磨きなおせますが、人の口から出たことばは、相手の心や人間関係に及んだあとでは、同じようには元へ戻せない、というたとえになっています。
日本の『童子教』では、この古い考えを、そのまま難しい形で移すのではなく、子どもにも覚えやすい対句の形に整えています。原典の「言のきず」が、『童子教』では「悪言の玉」と受け直され、白圭の玉と向かい合わせに置かれたため、意味が一段はっきり伝わる形になりました。
また、日本では平安時代末期の漢詩集『本朝無題詩(ほんちょうむだいし)』に、すでに「白珪」という語が見えており、この白い玉のイメージ自体は早くから知られていました。したがって、日本人にとっても、玉のきずとことばのきずを比べる発想は、受け取りやすいものであったと考えられます。
さらに『論語(ろんご)』には、孔子の弟子の南容(なんよう)が「白圭」の詩を何度もくり返して読んだという話があり、そこから「圭復(けいふく)」という言葉まで生まれました。これは、白圭の句が、軽々しく話さず、徳をみがくための教えとして長く重んじられてきたことを示しています。
こうして見ると、日本語のことわざとしての「悪言の玉は磨き難し」は、『童子教』で広く知られるようになった形だといえます。けれども、その土台には『詩経』の古い戒めがあり、日本ではそれが学びのことばとして生き続けたのです。
このことわざのいちばん大事な点は、悪いことばはあとで謝っても、最初から言わなかったことにはできない、というところにあります。玉は磨けても、口から出た悪言は磨きにくい――その強い対比によって、言葉を慎む大切さを短く深く伝える表現になりました。
「悪言の玉は磨き難し」の使い方




「悪言の玉は磨き難し」の例文
- 学級会で友だちの意見を笑ったあとで謝っても、悪言の玉は磨き難しという空気が教室に残った。
- 弟の作ったおにぎりをまずいと言い切ってしまい、悪言の玉は磨き難しと母にたしなめられた。
- 送信したメッセージで友人の失敗をからかった健太は、悪言の玉は磨き難しを身をもって知った。
- 文化祭の準備で仲間の字をけなした一言が尾を引き、悪言の玉は磨き難しという思いで手伝いを続けた。
- 会議で部下を人前で怒鳴った上司は、あとで言い直しても悪言の玉は磨き難しだと気づいた。
- 軽い冗談のつもりで差別的な言葉を口にすれば、悪言の玉は磨き難しという結果を招く。























