【ことわざ】
痘痕も靨
【読み方】
あばたもえくぼ
【意味】
好きになると、相手の欠点まで長所のように見えること。また、ひいき目で見れば、よくない点までよく見えること。


【英語】
・Love is blind(恋をすると相手の欠点が見えなくなる)
【類義語】
・惚れた欲目(ほれたよくめ)
・恋は盲目(こいはもうもく)
【対義語】
・坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)
「痘痕も靨」の語源・由来
「痘痕も靨」は、顔に残った痘痕まで、好意を持つ人の目には笑ったときの靨のように見える、という強い誇張から生まれたことわざです。痘痕は疱瘡(ほうそう:天然痘)のあとに残る発疹の跡、靨は笑ったときにほおにできるくぼみですから、本来はまったく別のものです。その違いをあえて結びつけることで、恋やひいきが人の見方を大きく変えることを、分かりやすく表しています。
この発想の古い類型として、室町時代末期の御伽草子『をこぜ』には、縁があれば容姿上の欠点さえ靨のように見える、という趣旨の表現が出てきます。ここでは、現在の「痘痕も靨」と同じ形ではありませんが、好意や縁によって、ふつうなら欠点とされるものまで美しく見えるという考え方が、すでに古くからあったことが分かります。
現在の形に近い古い用例としては、江戸時代中期の洒落本(しゃれぼん)『伊賀越増補合羽之龍』(1779年、蓮莢山人帰橋著)が挙げられます。洒落本は、江戸中期から後期にかけて流行した遊里文学で、会話を中心に人の言動を写実的に描く文芸です。この作品には「巖石にひとしき菊石(アバタ)も壱っによってゑくぼと成り」とあり、痘痕を「菊石(アバタ)」と書き、ある事情によって靨のようになる、という形で表されています。
この用例では、痘痕そのものが本当に靨へ変わるのではなく、見る人の心が変わるために、同じものがよく見えるという意味が働いています。ここに、このことわざの核心があります。つまり、相手の姿や性質が変化したのではなく、恋する人、ひいきする人の目が変わり、欠点を欠点として受け取らなくなるのです。
江戸時代後期の人情本『郭の花笠』(1836年)には、「好けば痘痕(アバタ)も靨(エクボ)と見ゆれど、あきては靨が痘痕と見え」とあります。好きでいる間は痘痕も靨に見えるが、気持ちが離れると靨まで痘痕に見える、という対比になっています。この例は、好意があるかないかによって、同じ相手の見え方が正反対になることをはっきり示しています。
明治時代にも、この表現はさまざまな形で使われました。たとえば『化気の種』(1888年、佐伯法雲編)では、疱瘡のあとも靨に見えるという言い方が、盲信に近い見方のたとえとして用いられています。また、落語や近代文学にも「あばたも笑靨」「痘を靨に見る」といった形が出てきます。これらの用例から、恋愛の場面だけでなく、ひいきや思い込みによって判断がゆがむことを表す言葉として広がったことが分かります。
こうして「痘痕も靨」は、もともとの具体的な身体上のくぼみの対比から出発し、江戸時代の文芸の中で今の形に近く用いられ、明治以降には恋愛・ひいき・盲信などを表すたとえとして定着しました。現在では、相手を好きになると冷静な判断がしにくくなり、欠点までも好ましく見えてしまう、という人間の心理を言い表すことわざとして使われています。
「痘痕も靨」の使い方




「痘痕も靨」の例文
- 姉は好きな俳優の失敗まで魅力だと言い、まさに痘痕も靨だった。
- 父は新しく買った車を気に入りすぎて、小さな傷まで味があると言うので、痘痕も靨だと思った。
- 友人はあのチームをひいきしているため、弱点まで作戦の一部に見えるらしく、痘痕も靨である。
- 初めての恋に夢中な彼には、相手のわがままさえかわいく思え、痘痕も靨になっていた。
- 祖母は孫の字の乱れまで元気があってよいと言い、痘痕も靨の見方をしていた。
- 社長が新製品に思い入れを持ちすぎると、欠陥まで個性に見えてしまい、痘痕も靨になりかねない。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・蓮莢山人帰橋『伊賀越増補合羽之龍』1779年。
・『郭の花笠』1836年。
・Oxford University Press『Oxford Advanced Learner’s Dictionary』。























