【故事成語】
仰いで天に愧じず
【読み方】
あおいでてんにはじず
【意味】
天に向かっても恥じるところがないほど、心や行いに少しもやましいところがないこと。


【英語】
・have a clear conscience(良心に少しもやましいところがない)
・have nothing to be ashamed of(恥じるところが何もない)
・be able to hold one’s head high(胸を張っていられる)
【類義語】
・俯仰天地に愧じず(ふぎょうてんちにはじず)
・清廉潔白(せいれんけっぱく)
・公明正大(こうめいせいだい)
【対義語】
・後ろ暗い(うしろぐらい)
・面従腹背(めんじゅうふくはい)
「仰いで天に愧じず」の故事
この故事成語は、中国の古典『孟子(もうし)』の『尽心上(じんしんじょう)』にある言葉から生まれました。何か大きな事件や戦いの場面から出たというより、孟子が人のあるべき生き方を語った教えの中に出てくる表現です。
孟子は、孔子の教えを受けついだ儒家の思想家として知られています。人は正しい心をのばして生きるべきだと考え、そのための道を多くの言葉で説きました。
この言葉が出てくるところで、孟子は「君子には三つの楽しみがある」と述べます。地位や権力を手に入れることではなく、人として大切にしたい喜びを三つ挙げているのです。
その第二の楽しみとして示されるのが、「仰不愧於天、俯不怍於人、二楽也」という一節です。訓読すると、「仰いで天に愧じず、俯して人に怍じざるは、二の楽しみなり」となります。
これは、上を向いて天に対しても恥ずかしいところがなく、下を向いて人に対しても後ろめたいところがない、という意味です。つまり、自分の心や行いが正しく、どこから見られても恥じない状態を言っています。
ここでいう「天」は、ただ空のことではありません。人の行いを照らす大きな道理や、まっすぐな正しさまで含んだ重みのある言葉として受け取ると、この句の意味がよく分かります。
また、「怍じず」は、人に対してうしろめたく思わないということです。天にも人にも恥じないという言い方を重ねることで、心の内にも、外から見える行いにも、やましさがないことを強く表しています。
大事なのは、この言葉が「第二の楽しみ」とされている点です。孟子は、ただ正しくあれと命じるだけでなく、正しく生きていて心に後ろめたさがないことそのものが、人にとって深い喜びになると考えました。
そのため、この故事成語は、表向きだけ立派に見せることとは違います。人にほめられるためではなく、自分で自分を振り返ったときに、恥ずかしいことがないと言えるあり方を指しているのです。
この一節は後の時代にも重んじられ、日本語では「仰いで天に愧じず」という前半だけでも意味が通じるようになりました。さらに「俯仰天地に愧じず」という形でも広まり、少しもやましいところがないことを表す言い方として受けつがれてきました。
故事成語というと、だれかの行動や失敗から生まれた言葉を思い浮かべやすいのですが、この言葉は、孟子の教えの中の一文がそのまま強い表現として残ったものです。短い言葉ですが、人としてどう生きるべきかという問いが深くこめられています。
だから「仰いで天に愧じず」は、ただ潔白だと言い張るための言葉ではありません。心にも行いにもごまかしがなく、天にも人にも顔向けできるような、まっすぐで正しい生き方を表す故事成語なのです。
「仰いで天に愧じず」の使い方




「仰いで天に愧じず」の例文
- 学級会で会計ノートを示した委員長の態度は、まさに仰いで天に愧じずというものだった。
- 祖父は、約束した返済を一度も遅らせなかったので、仰いで天に愧じずと胸を張っていた。
- 友人は、落とし物の財布をそのまま交番へ届け、仰いで天に愧じずという顔で帰ってきた。
- 町内会の会計報告が細かく公開されているので、仰いで天に愧じずという言葉がよく似合う。
- 不正を断って会社を去った社員の決断には、仰いで天に愧じずという強さがあった。
- 人に見られていない場所でも同じように正しく行うことが、仰いで天に愧じずにつながる。























