【ことわざ】
縁なき衆生は度し難し
【読み方】
えんなきしゅじょうはどしがたし
【意味】
仏縁のない者は、慈悲深い仏でも救いがたいこと。転じて、忠告を聞く気のない者や、理解しようとしない者には、いくら言っても救いようがないということ。


【英語】
・You can lead a horse to water, but you can’t make it drink(機会を与えることはできても、本人にその気がなければ行動させることはできない)
【類義語】
・馬の耳に念仏(うまのみみにねんぶつ)
・牛に経文(うしにきょうもん)
・犬に論語(いぬにろんご)
・蛙の面に水(かえるのつらにみず)
「縁なき衆生は度し難し」の語源・由来
「縁なき衆生は度し難し」は、仏教語をもとにしたことわざです。「縁」は、ここでは仏とのつながりである仏縁を指し、「仏縁」は仏との間に結ばれる縁、仏の導きやゆかりを表します。
「衆生(しゅじょう)」は、仏教で、迷いの世界にあるあらゆる生き物、仏の救いの対象となるものを指します。もとはサンスクリット語の訳語で、生きとし生けるものを表す言葉です。
「度し難し」の「度する」は、仏が衆生を救い、悟りの境地へ導くことを表します。また、道理を言い聞かせて理解させる、納得させるという意味にも用いられます。
このことわざの背景には、「済度(さいど)」という仏教の考えがあります。「済度」は、「済」が救う、「度」が渡すという意味をもち、迷い苦しむ人々を救って悟りの境地に導くことを表します。
「度する」という言葉そのものは、かなり古くから使われています。『日本霊異記(にほんりょういき)』(810〜824年ごろ・平安時代初期成立)には、人を救い導く意味で「人を度するに勝れたる書ぞ」という用例が見えます。
「済度」も古くから仏教語として使われました。『唐大和上東征伝』(779年・奈良時代、淡海三船著)には「興隆仏法、済度衆生」とあり、仏法を盛んにし、衆生を救い導くという文脈で用いられています。
このように、「縁なき衆生は度し難し」の土台には、迷い苦しむ者を救って悟りへ導くという仏教の言葉の流れがあります。ただし、このことわざそのものは、経典の一句をそのまま写した形ではなく、日本の近世文芸の中に、現在の形に近い言い方として見えます。
古い用例として、『諸芸袖日記(しょげいそでにっき)』(1743年・江戸時代中期、浮世草子)巻四に、「エエ縁(エン)なき衆生(シュジャウ)は度(ド)しかたきぢゃナア」とあります。ここでは、相手に分からせようとしても分からない、どうにもならないというあきらめの言葉として使われています。
この段階で、ことわざはすでに、仏の救いだけを述べる言葉ではなくなっています。仏縁のない者を救う難しさが、人に道理を聞かせても通じない難しさへと移っているのです。
明治時代にも、この言葉は仏教の範囲を越えて用いられました。夏目漱石の『文芸の哲学的基礎』(1907年・明治時代)では、仏法だけの言葉ではなく、理想の隔たりが大きい相手には感化が及びにくい、という意味で使われています。
現在では、「縁」は本来の仏縁だけでなく、理解し合うきっかけや、相手が受け入れる姿勢を含むものとして受け止められています。そのため、仏教の話に限らず、忠告を聞かない人、説明しても納得しない人、もはや相手にしても仕方がない場面にも用いられます。
ただし、このことわざは、相手を見下すためだけの言葉として使うと、冷たい響きになりやすい表現です。本来の意味をふまえるなら、人を導くにも、相手が耳を開く縁や時機が必要だという、救いと説得の限界を示すことわざといえます。
「縁なき衆生は度し難し」の使い方




「縁なき衆生は度し難し」の例文
- どれほど丁寧に説明しても、聞く気のない相手には縁なき衆生は度し難しだ。
- 先輩の忠告を無視し続ける彼を見て、縁なき衆生は度し難しという言葉を思い出した。
- 安全のための注意を笑って聞き流す人には、縁なき衆生は度し難しと感じることがある。
- 何度も資料を示して説得したが、相手は考えを変えず、縁なき衆生は度し難しだった。
- 親身な助言を受け入れない友人に対して、縁なき衆生は度し難しとあきらめかけた。
- 相手に学ぶ気持ちがなければ、どんな名講義でも縁なき衆生は度し難しになってしまう。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・集英社辞典編集部編『会話で使えることわざ辞典』集英社。
・『諸芸袖日記』1743年。
・景戒『日本霊異記』810〜824年ごろ。
・淡海三船『唐大和上東征伝』779年。
・夏目漱石『文芸の哲学的基礎』1907年。























