【ことわざ】
空家で声嗄らす
【読み方】
あきやでこえからす
【意味】
骨を折っても人に認められず、むだ骨に終わること。


【英語】
・in vain(むだに、むなしく)
・beat the air(手ごたえのないむだ骨を折る)
・spin one’s wheels(努力しても前に進めない)
【類義語】
・楽屋で声をからす(がくやでこえをからす)
・縁下の舞(えんのしたのまい)
・空家で棒を振る(あきやでぼうをふる)
【対義語】
・打てば響く(うてばひびく)
・陰徳あれば陽報あり(いんとくあればようほうあり)
・石に立つ矢(いしにたつや)
「空家で声嗄らす」の語源・由来
このことわざのもとになっているのは、人の住んでいない家で、だれかに取り次ぎや案内を求めて何度呼んでも返事がない、という場面です。そこから、骨を折っても人に認められず、むだ骨に終わることをいうようになりました。
「あきや」という言葉そのものは古く、人の住んでいない家を指す語として中世の辞書類にも出てきます。つまり、このことわざの土台になる情景は、かなり昔から人びとの暮らしの中でよく知られていたものでした。
また、「声嗄らす」は、声がかすれるほど大声を出したり、何度も言い続けたりすることです。少し呼んで返事がないという程度ではなく、かなり力を尽くしているところに、このことわざの重みがあります。
そのため、このことわざは、ただ結果がよくなかったという場面よりも、相手に届くはずのない場所や、見当ちがいの相手に向かって力を使ってしまう場面によく合います。努力不足をいうのではなく、努力の向け先がずれているために報われないことを表す言い方です。
江戸時代には、これとよく似た意味を持つ言い方がいくつも使われていました。その代表の一つが「縁下の舞」です。
「縁下の舞」は、四天王寺の舞楽に結びつく言葉で、舞台の表ではなく、見えない場所で行われる舞から、人目につかないところでむなしく苦労することを表すようになりました。古い例としては、1633年(寛永10年・江戸時代前期)の『犬子集(えのこしゅう)』に「椽の下の舞」が出てきます。
もう一つ近いのが、「楽屋で声をからす」です。これは、舞台に出る前の楽屋でいくら声を使っても、客に届かず認められない、という発想のたとえです。
この言い方は、1711年(宝永8年・江戸時代中期)の『傾城禁短気(けいせいきんたんき)』に見えます。舞台・楽屋・縁の下のように、見えない場所、届かない場所を使って、報われにくい苦労を言い表す言葉が、江戸時代にはすでに広く親しまれていたことが分かります。
「空家で声嗄らす」も、その流れの中で理解すると分かりやすい言葉です。見えない場所での苦労をいう「縁下の舞」や、舞台に届かない努力をいう「楽屋で声をからす」と同じく、こちらは返事そのものがありえない空家を持ち出して、むなしさをよりはっきり表しています。
表記には「空家」「空き家」「明家」などがあり、古くは「あきや」という語に「明家」の字を当てることもありました。また、近い言い方として「空家で棒を振る」も知られています。こうした書き方や言い換えの違いはあっても、むだ骨を折るといういちばん大事な意味は共通しています。
結局このことわざは、どれほど熱心でも、相手も場も合っていなければ努力は実りにくい、という教えを短く鋭く伝える言葉です。声がかれるほど呼びかけても返事のない空家の絵がはっきり浮かぶので、今でも意味がつかみやすく、使いどころの明確なことわざとして残っています。
「空家で声嗄らす」の使い方




「空家で声嗄らす」の例文
- 提出箱がすでに回収されたあとで課題の受け取りを頼み続けても、空家で声嗄らすである。
- 家族会議が終わったあと、一人だけ台所で旅行先の希望を言い続けても、空家で声嗄らすに終わる。
- 連絡を絶った相手の古い番号へ謝罪の留守電を重ねるだけでは、空家で声嗄らすになりやすい。
- 閉会した町内会の会場で意見を言い直しても、空家で声嗄らすだ。
- 担当窓口が変わったのに前の担当者へ要望を送り続けるのは、空家で声嗄らすに等しい。
- 受け付けを終えた相談会の前で順番を求めて呼びかけても、空家で声嗄らすというほかない。























