【ことわざ】
明日の百より今日の五十
【読み方】
あすのひゃくよりきょうのごじゅう
【意味】
あてにならない将来の大きな利益を待つより、少なくても今すぐ確実に手に入るもののほうがよいということ。


【英語】
・A bird in the hand is worth two in the bush.(手の中の一羽の鳥は、やぶの中の二羽の鳥に値する)
【類義語】
・後の百より今五十(のちのひゃくよりいまごじゅう)
・末の百両より今の五十両(すえのひゃくりょうよりいまのごじゅうりょう)
・先の雁より手前の雀(さきのがんよりてまえのすずめ)
【対義語】
・損して得取れ(そんしてとくとれ)
「明日の百より今日の五十」の語源・由来
「明日の百より今日の五十」は、中国の古い故事に由来する言葉ではなく、日本語のことわざとして、先の大きな利益と目の前の小さな利益を対比してできた表現です。形の上では、「明日」と「今日」、「百」と「五十」を向かい合わせ、まだ手に入っていない大きなものより、今すぐ手に入る小さなものを重んじる考えを示しています。
もとの意味は、金銭の受け取りに結びついた、とても具体的なものです。「明日もらえるはずの百文の銭よりも、今日確実に手に入る五十文のほうがよい」という説明があり、金額は多くても支払いが後になるより、少額でもすぐ自分のものになるほうがよい、という考えを表します。ここでの「百」や「五十」は、単なる大きい数と小さい数ではなく、生活に関わる金銭の差として受け取られてきた言い方です。
このことわざには、近い形の言い方もあります。「末の百両より今の五十両」や「聞いた百文より見た一文」が並べられており、また「後の百より今五十」という形も、同じ趣旨を指す表現として扱われています。これらの形からも、未来・あと・末にある大きな価値より、今日・今・実際に手にできる価値を重く見る発想が、さまざまな言い回しで広がっていたことが分かります。
古い用例としては、横山源之助の『日本之下層社会』(1899年・明治時代、横山源之助著)に、「明日の百より今日の五十文」という形が出てきます。そこでは、農民たちの生活が苦しく、明日のために考える余裕を失い、今日の五十文に甘んじて一日を過ごすという文脈で使われています。単に欲が少ないという意味ではなく、将来の大きな見込みよりも、今日を支える確かなものを選ばざるをえない暮らしの切実さを表す用例です。
そのため、このことわざは、ただ「少ないもので満足せよ」と教えるだけの言葉ではありません。あてにならない期待に寄りかからず、今確かに得られるものを大切にせよ、という現実的な判断を促す教訓として用いられてきました。明日はどうなるか分からないからこそ、目の前の確実なものを軽く見ない、という今の意味へ自然につながっています。
「明日の百より今日の五十」の使い方




「明日の百より今日の五十」の例文
- 明日の百より今日の五十と考え、まだ決まっていない高い報酬より、今日支払われる少額の仕事を受けた。
- 景品が倍になるかもしれない抽選を待たず、明日の百より今日の五十で、確実にもらえる参加賞を選んだ。
- 父は、あやふやなもうけ話に乗るより、明日の百より今日の五十で堅実に貯金するほうがよいと言った。
- 友人との約束が何度も変わったので、明日の百より今日の五十と思い、今受け取れる本を借りることにした。
- 会社は、将来の大口契約だけを当てにせず、明日の百より今日の五十で、確実な小口の注文を大切にした。
- 祖母は、遠い日のぜいたくを夢見るより、明日の百より今日の五十で、今日の食事と暮らしを整えることを重んじた。
主な参考文献
・松村明監修、小学館国語辞典編集部編『デジタル大辞泉』小学館。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・横山源之助『日本之下層社会』教文館、1899年。























