【慣用句】
青菜に塩
【読み方】
あおなにしお
【意味】
元気だった人が、何かをきっかけに急に元気を失い、すっかりしょげているさま。


【英語】
・look crestfallen(がっかりしてしょんぼりして見える)
【類義語】
・青菜を湯に漬けたよう(あおなをゆにつけたよう)
【対義語】
・水を得た魚(みずをえたうお)
「青菜に塩」の語源・由来
「青菜」は、青々とした葉物野菜を広く指す言葉です。みずみずしい青菜も、塩をふりかけると水分が出て、しおれてしまいます。
この慣用句は、その目に見える変化を、人の元気が急にしぼむ姿に重ねた表現です。単に疲れている様子ではなく、それまで元気だった人が、何かのきっかけでしょげ返るところに意味の中心があります。
古い用例として、『世話尽(せわづくし)』(1656年・明暦2年・江戸時代前期、皆虚編)に「青菜(アヲナ)にしほ」という形が出てきます。『世話尽』は、俳諧(はいかい)の手引きとして、世間で使われる俗語や言い回しを集めた書物です。
この段階では、現代の「塩」ではなく「しほ」という表記ですが、青菜と塩を組み合わせる形は、現在の表現とほとんど同じです。江戸時代前期には、青菜が塩でしおれる様子を、人の気力がしぼむたとえとして用いる土台ができていました。
江戸時代後期の『諺苑(げんえん)』(1797年・寛政9年、太田全斎著)にも、「青菘(アヲナ)に塩」という形が出てきます。ここでは、塩によってしおれたり縮んだりするものをもとにした、似た発想の言い方も並んでいます。
「青菘」という表記は、現在ふつうに書く「青菜」とは違いますが、読みは「あおな」と示されています。表記には揺れがありながらも、青菜に塩をかけるという具体的な場面は保たれていました。
十九世紀には、『花暦八笑人(はなごよみはっしょうじん)』(1820〜1849年・文政3年〜嘉永2年・江戸時代後期、滝亭鯉丈ほか作)にも「青菜に塩」が使われています。この作品は、遊び仲間たちの失敗やこっけいなやりとりを描いた滑稽本で、日常に近い場面でこの言い方が働いていたことを示しています。
明治時代に入ると、『西洋道中膝栗毛(せいようどうちゅうひざくりげ)』(1870〜1876年・明治3〜9年、仮名垣魯文作)にも、元気を失う場面で「青なにしほ」という形が出てきます。ここでは、人物がひどく弱り、それまでの勢いをたちまち失う様子を表しています。
さらに、『社会百面相(しゃかいひゃくめんそう)』(1902年・明治35年、内田魯庵著)では、相手にきっぱり断られた人物が「青菜に塩ですごすごと帰った」という場面に使われています。失望が歩き方や後ろ姿にまで表れる様子を示しており、現在の使い方にとても近い例です。
このように、「青菜にしほ」「青菘に塩」「青なにしほ」など、古い時代には表記の違いがありました。それでも、青菜が塩でしおれるという中心のたとえは変わらず、人が急にしょげる姿を表す言い回しとして受け継がれてきました。
現在の「青菜に塩」は、青菜そのものを説明する言葉ではなく、人の気持ちや様子を表す慣用句です。元気だった人が、試合の敗北、発表の失敗、残念な知らせなどをきっかけに、目に見えて力をなくしたときに使うのが自然です。
「青菜に塩」の使い方




「青菜に塩」の例文
- 優勝候補だったチームは決勝で大差をつけられ、試合後は青菜に塩のありさまだった。
- 応募した絵が選ばれなかったと知り、妹は青菜に塩のようにうつむいて帰ってきた。
- 楽しみにしていた発表会が中止になり、弟は青菜に塩になって部屋の隅に座っていた。
- 商談が直前で取りやめになり、部長は青菜に塩といった様子で資料をしまった。
- 合格発表の掲示板に自分の番号がなく、彼は青菜に塩の顔で駅へ向かった。
- 祭りの太鼓役を任されるはずだった友人は、けがで出られなくなり青菜に塩のようだった。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・Cambridge University Press『Cambridge Advanced Learner’s Dictionary & Thesaurus』Cambridge University Press。
・皆虚編『世話尽』西田庄兵衛、1656年。
・太田全斎『諺苑』1797年。
・滝亭鯉丈ほか『花暦八笑人』1820〜1849年。
・仮名垣魯文『西洋道中膝栗毛』1870〜1876年。
・内田魯庵『社会百面相』1902年。






















