【ことわざ】
会うは別れの始め
【読み方】
あうはわかれのはじめ
【意味】
出会えば、いつかは必ず別れが来るということ。人の世の無常や、別れのさだめをいう。


【英語】
・The best of friends must part.(親しい友どうしでも、いつかは別れなければならない)
【類義語】
・会者定離(えしゃじょうり)
・会うは別れ(あうはわかれ)
・会うは別れの基(あうはわかれのもとい)
・合わせ物は離れ物(あわせものははなれもの)
【対義語】
・別れは会うことの始め(わかれはあうことのはじめ)
「会うは別れの始め」の語源・由来
このことわざは、出会いがあれば、その時点でいつかの別れも同時に始まっている、という考えをことばにしたものです。うれしい出会いの裏に、すでに別れの運命がふくまれているととらえるので、人生のはかなさをしみじみ伝える言い回しになっています。
背景にあるのは、仏教の無常観です。『法華経(ほけきょう)』譬喩品(ひゆぼん)には、愛するものと別れる苦しみをいう愛別離苦(あいべつりく)とともに、会った者は必ず離れるという趣旨の文が出てきます。
また、中国唐代の詩人、白居易(はくきょい)の『白氏文集(はくしもんじゅう)』巻十四には、「合者離之始、楽兮憂所伏」という句があります。会うことは離れることの始まりであり、楽しみの中には憂いがひそむ、という意味で、今のことわざの響きと深く通じています。
そのため、このことわざは一つの文からそのまま生まれたというより、仏教が説く無常の考え方と、漢詩が示した言い回しとが重なり合って、日本語のことわざとして育ったと考えると分かりやすいです。意味の土台と表現の形が、長い時間の中で結びついたといえます。
日本語の古い例としては、藤原定家(ふじわらのていか)の歌を収めた『洞院百首(とういんひゃくしゅ)』に、1232年(貞永元年・鎌倉時代中期)成立の歌として、「はじめよりあふはわかれ」という形が確かめられます。まだ「始め」まで入った今の形ではありませんが、出会いと別れを結びつける考えは、すでにこの時期には日本語の中で言い表されていました。
今のことわざにかなり近い形は、鎌倉時代末から南北朝時代初めに成った『風に紅葉(かぜにもみじ)』に出てきます。そこでは「あふはわかれのはじめ」という言い方が使われており、後の定着につながる大切な例になっています。
さらに、室町時代末から近世初めにかけての狂言『墨塗(すみぬり)』には、「逢ふは別れの始」という言い方が書かれています。物語や芸能の中でくり返し用いられたことで、このことばが人びとの実感に結びついて広がっていったことがうかがえます。
江戸時代に入ってからも、この表現は続いてゆきます。『竹斎(ちくさい)』では、1621~1623年(元和7~9年・江戸時代前期)ごろの本文に、会者定離と結びつけて語る形があり、1684年(貞享元年・江戸時代前期)の『野語述説(やごじゅつせつ)』にも、ほぼ同じ言い方が残っています。
その後も、1821年(文政4年・江戸時代後期)の歌舞伎『敵討櫓太鼓(かたきうちやぐらだいこ)』や、1913~1941年(大正2年~昭和16年)の中里介山(なかざとかいざん)『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』に使われ、長く生きたことわざであることが分かります。『大菩薩峠』では「別れは会うことのはじめ」という言い添え方もあり、別れの先にまた新しい縁があるという受け止め方まで示しています。
このことわざが恋人どうしの別れだけを指さないのも、こうした成り立ちと関係します。家族、友人、師弟、旅の道連れなど、人が人と関わるかぎり別れは避けられない、という広い人生観がこめられているのです。
ですから、語源と由来を一言でまとめるなら、仏教の無常観を土台にし、中国の漢詩の言い回しに支えられ、日本の中世文学や狂言を通って今の形に定着したことば、ということになります。出会いのよろこびと別れのかなしみを、同じ一つのことばで言い表したところに、このことわざの深さがあります。
「会うは別れの始め」の使い方




「会うは別れの始め」の例文
- 卒業式で担任の先生と別れる日、六年間の出会いを思い返して、会うは別れの始めという言葉が胸に浮かんだ。
- 久しぶりに帰省した息子が翌朝には赴任先へ戻り、母は会うは別れの始めをしみじみ味わった。
- 転校する友人の机が空になり、会うは別れの始めの重みを初めて知った。
- 夏の合宿で仲良くなった他校の生徒と閉会式で別れ、会うは別れの始めを実感した。
- 新人研修で親しくなった同期が全国の支店へ配属され、会うは別れの始めだと思った。
- 被災地支援の活動を終えて地元の人々に見送られたとき、会うは別れの始めという言葉が身にしみた。























