【ことわざ】
逢えば五厘の損がいく
【読み方】
あえばごりんのそんがいく
【意味】
人とつきあえば、金銭や時間の負担が何かとかかり、少しずつ損をするということ。


【英語】
・Socializing comes at a cost.(人づきあいには何かしらの負担がかかる)
・Keeping company costs money.(人とつきあえば出費がかさむ)
【類義語】
・触り三百(さわりさんびゃく)
・触らぬ神に祟りなし(さわらぬかみにたたりなし)
【対義語】
・損して得取れ(そんしてとくとれ)
・袖振り合うも多生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)
・遠くの親類より近くの他人(とおくのしんるいよりちかくのたにん)
「逢えば五厘の損がいく」の語源・由来
このことわざは、人に「逢う」だけで、ほんのわずかな損が出るという、少し皮肉まじりの言い方です。ここでいう「損」は、大きな失敗ではなく、小さな出費や手間が積み重なることを指しています。
「五厘」は、たいへん小さな金額です。明治4年(1871年・明治時代前期)に新しい貨幣の決まりができて、円・銭・厘という数え方が広まり、五厘は一銭の半分という細かな額を表すようになりました。
このことわざがおもしろいのは、わざわざ「五厘」という小さな額を持ち出しているところです。大損ではなく、ほんの少しの負担でも、人に会えば何かしら出ていく、という細かい実感がよく出ています。
そのため、このことわざは、交際のたびに財布のひもが少しずつゆるむ暮らしぶりと深く結びついています。お茶を出す、菓子を用意する、相手に合わせて外へ出る、つきあいで何かを買うというように、目立たない出費が重なる場面から生まれたと考えられます。
また、金額だけでなく、時間や気づかいまでふくめて「損」と言っているところにも、このことわざの味わいがあります。人に会えば、少し話しこみ、少し気をつかい、少し予定がずれることもあるので、その負担をまとめて言い表しているのです。
このことわざは、大阪地方に伝わる言い方として知られています。商いの町では、金の出入りを細かく見る感覚が強く、ほんのわずかな負担でも、ことばにして言い止める言い回しが育ちやすかったのでしょう。
ただし、このことわざについては、古い用例を一つ取り出して、ここがはっきりした出発点だと言い切るのはむずかしいところがあります。形そのものの初めを一つに決めにくいため、語源は言葉のつくりと暮らしの背景から考えるのがいちばん自然です。
その手がかりになるのが、少しかかわっただけで三百文の損をするという「触り三百」という古いことわざです。こちらは1638年(寛永15年・江戸時代前期)の『毛吹草(けふきぐさ)』に出てきて、かかわり合いが損につながるという発想が、かなり古くから親しまれていたことを伝えています。
「逢えば五厘の損がいく」も、こうした「かかわれば損をする」という言い方の流れの中で理解すると分かりやすくなります。つまり、人との接触を金額でたとえて言う日本語の言い回しが先にあり、その中で、もっと小さく、もっと日常的な負担を表す形として、このことわざが定着していったのでしょう。
表記には「会えば五厘の損がゆく」という形もあります。「逢う」と「会う」、「いく」と「ゆく」の違いはありますが、意味はほぼ同じで、人に会えば何かしらの負担が生まれるという点は変わりません。
大事なのは、このことわざが、人づきあいそのものを全面的に悪いものと決めつける言葉ではないことです。むしろ、人と交われば多少の出費や手間は避けられない、という、少し苦笑まじりの現実感を表した言葉だと受け取ると、無理なく意味が通ります。
だから今でも、このことわざは本気で人を遠ざけるためというより、つきあいが続いて出費がかさんだときに、半分冗談のように口にするのがいちばん自然です。小さな損を数えながらも、人づきあいの面倒さと世の中の機微をよく言い当てた、味わいのあることわざです。
「逢えば五厘の損がいく」の使い方




「逢えば五厘の損がいく」の例文
- 文化祭で知り合いに会うたびに飲み物を買っていたら、逢えば五厘の損がいくという気分になった。
- 年末のあいさつ回りが続く母は、手土産代がかさむたびに逢えば五厘の損がいくと苦笑した。
- 友人の誘いを毎回断れず外食が重なると、逢えば五厘の損がいくという言葉が身にしみる。
- 町内会の集まりは会費も差し入れも必要で、逢えば五厘の損がいくと思う人もいる。
- 営業の仕事では人に会うほど交通費や時間がかかり、逢えば五厘の損がいくという見方も成り立つ。
- 近所づきあいを大切にしつつも、冠婚葬祭が重なる時期には逢えば五厘の損がいくと感じることがある。























