【故事成語】
牛鼎の意
【読み方】
ぎゅうていのい
【意味】
相手に認められるために、いったん身を低くすること。初めは相手の考えに合わせ、信頼を得てから自分の説を受け入れさせること。


【類義語】
・寸を詘げて尺を伸ぶ(すんをまげてしゃくをのぶ)
「牛鼎の意」の故事
「牛鼎の意」は、中国前漢の歴史家である司馬遷が著した『史記(しき)』(前漢、紀元前1世紀ごろ)の「孟子荀卿列伝(もうしじゅんけいれつでん)」に出てくる表現にもとづきます。『史記』は、古代の黄帝から前漢の武帝の時代までを、本紀・世家・列伝などに分けて記した歴史書です。
この一節で取り上げられているのは、中国戦国時代の思想家である騶衍(すうえん)です。騶衍は、五行の移り変わりによって王朝の盛衰を説明するなど、当時としても遠大で珍しい学説を唱え、斉・梁・趙・燕の君主たちから厚く礼遇されました。
『史記』は、正しいと信じる道を曲げず、諸侯に受け入れられなかった孔子や孟子と、風変わりな説によって大名たちから尊敬された騶衍とを比べています。そのうえで、騶衍の言葉が普通の道から外れているように思えても、まず君主の心に合わせ、その後で正しい大道へ導こうとしたのではないかと問い掛けています。
その部分には、「作先合、然後引之大道」とあります。これは、初めに相手の好みに合わせて受け入れられ、その後で、相手を大きな正しい道へ導くという意味です。
この考えを示すために、『史記』は伊尹(いいん)と百里奚(ひゃくりけい)の二人を挙げています。伊尹は殷の湯王(とうおう)を助けた伝説上の名臣で、百里奚は春秋時代の秦の穆公(ぼくこう)に仕えた政治家です。
伊尹について、『史記』の「殷本紀」には、有莘氏に仕える身となり、鼎俎(ていそ:食べ物を煮る鼎と、切るためのまな板)を背負い、料理の味を手掛かりにして湯王へ説き、王者として進むべき道へ導いたとあります。身近な料理の話から相手の心をつかみ、やがて国を治める大きな道を説いたという話です。
「鼎」は、古代中国で食べ物を煮るために使った、通常は三本の脚をもつ器です。「牛鼎の意」の「鼎」は、伊尹が鼎を背負って湯王に近づいた話を指すものと解釈されています。
一方、「孟子荀卿列伝」には、百里奚が車の下で牛を飼い、後に秦の穆公から用いられ、穆公を覇者へ導いたとあります。低い身分に身を置きながら機会を得て、自分の力や考えを国の政治に生かした人物として挙げられています。
ただし、同じ『史記』の別の列伝では、百里奚は道で食べ物を求めた人物、車の下で牛を飼った人物は寧戚(ねいせき)として書き分けられています。そのため、牛を飼った人物については伝承に揺れがありますが、「牛鼎の意」は、「孟子荀卿列伝」に記された百里奚と伊尹の組み合わせにもとづいて理解されています。
「牛鼎」は、この二つの話の「牛」と「鼎」を一字ずつ組み合わせたものです。つまり、「牛」は百里奚が牛を飼った話を、「鼎」は伊尹が鼎を背負った話を表し、二人がいったん身を低くして君主に近づき、認められた後で自分の力を発揮したことをまとめています。
一方、唐代の司馬貞が著した『史記索隠(しきさくいん)』には、「牛鼎」を牛が入るほど大きな鼎と解し、騶衍の学説が遠大であったことを表すものとする注釈もあります。しかし、後の王若虚や顧炎武は、直前に並ぶ「牛を飼った話」と「鼎を背負った話」を受けた表現であると解しました。
日本語で定着した「牛鼎の意」の意味は、後者の解釈に沿っています。原文の「牛鼎之意」を日本語で「牛鼎の意」と読み、初めは相手の意向に合わせて信用を得た後、自分の説によって相手をよりよい方向へ導くことを表すようになりました。「牛鼎意」と、「の」を入れずに表記することもあります。
「牛鼎の意」の使い方




「牛鼎の意」の例文
- 委員長は牛鼎の意で反対する人々の不安を受け止めてから、行事の新しい進め方を提案した。
- 父は牛鼎の意を用い、祖父の考えを尊重しながら、古い家の修理が必要だと説いた。
- 彼女は牛鼎の意で取引先の希望に耳を傾け、信頼を得た後に自社の案を示した。
- 地域の代表者は牛鼎の意をもって住民の意見に寄り添い、少しずつ防災計画への理解を広げた。
- 新しい制度を急に押し付けず、牛鼎の意で職員の疑問に答えてから導入を進めた。
- 交渉では牛鼎の意が功を奏し、相手の立場を認めたうえで双方に有利な条件へ導くことができた。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・司馬遷『史記』前漢、紀元前1世紀ごろ。
・司馬貞『史記索隠』唐代。
・王若虚『滹南遺老集』金代。
・顧炎武『日知録』清代。























