目次
「来て見れば、さほどでもなし富士の山」の意味(出典・語源由来)

来て見れば、さほどでもなし富士の山
【読み方】
きてみればさほどでもなしふじのやま
【意味】
実際に自分の目で見ると、話に聞いていたほどではなくがっかりすること。


人の話ばっかり信じてたら、実際にはがっかりすることもあるわけやね。自分の目で見て判断することが大事やな。
【出典】
江戸時代に「来て見れば聞くより低し富士の山、釈迦も孔子もかくやあらん」という狂歌がある。
【語源・由来】
富士山は日本一の素晴らしい山だと言われて来たがそれほどではなかったという意から。
「来て見れば、さほどでもなし富士の山」の解説
「来て見れば、さほどでもなし富士の山」ということわざはね、聞いた話や噂で「すごい!」って思ってたことが、実際に見てみると「え、これがそれ?」ってなることを言っているんだ。
例えば、みんなが「このおもちゃ、すごく楽しいよ!」って言ってるから、欲しくて欲しくてたまらなくなるんだけど、手に入れてみたら「うーん、そんなに面白くないかも」と思ったこと、あるよね?
この言葉の背景には、富士山のことが出てくるんだ。富士山はとってもきれいで、すごい山としてたくさんの人に知られているけど、実際に行って見ると「あれ?みんなが言ってたほど大きくないかも」と思うことから、この言葉が生まれたんだよ。
要するに、噂や話だけでなく、自分の目でちゃんと確かめることが大切だっていう教えがこめられているんだね。
「来て見れば、さほどでもなし富士の山」の使い方




「来て見れば、さほどでもなし富士の山」の例文
- 来て見れば、さほどでもなし富士の山というが、ナイアガラの滝は規模が大きいため圧巻だった。
- 映える写真が流行り、来て見れば、さほどでもなし富士の山という景色が増えた。
- 京都は人であふれ人の頭しか見えず来て見れば、さほどでもなし富士の山だった。
- ドバイはどこかしらで常に工事が行われていて景観を阻害し、来て見れば、さほどでもなし富士の山という感じだった。
- ラスベガスは最も過大評価されている都市に選ばれた。皆、来て見れば、さほどでもなし富士の山と思ったのだろう。























